さぞかし!さぞかし無念だったてしょう

今回の引退騒動でも多くの人権派インテリや社会派ジャーナリストは貴○花親方の味方になっている。面々は基本的に被害者とか革新主義という言葉に弱いから親方に味方するのも当然なんだが考えて見れば革新という動き自体にゃあ何か特定の思想や方向性は反映されていない。インテリ層は革新=人権派と楽観的に捉えているから革新派の親方を微塵の疑いも差し挟まずに応援しているんだと推察できるが親方がホントにインテリの面々が信じているよなタイプの革新=民主化なのかは極度に疑わしい。暴力を受けた人=被害者というモデルも現実には相対的にしか適用できてない。かつて呉智英氏も語っているようにホメイニというオジサンがイランでイスラム革命を起こしたとき日本の一部のインテリたちはイランの民主化の到来を予感して近畿雀躍して大喜びした。しかし実はホメイニ師が目指したのは反西欧・反近代化・反民主化イスラム化だった。それを知るやインテリの面々は一挙に落胆という事態に陥った。なせかというに当時の革新派インテリたちのアタマはアジア=弱者で弱者=革命で革命=社会主義だというモンキー型のモデルで
凝り固まっていて時代に逆行する復古主義の革命という意外な現実を前に一種の思考停止状態に陥ったせいだ。ご苦労さんな話だ。改革=民主化みたいなモデルだけぢゃなく世の中には誰も確かめないうちに勝手に当然のことになっている常識が色々ある。地鶏=銘柄鶏より美味いとかワイドショー好き=バカで不真面目だとか逆に政治談義好き=利口で真面目だとか。20代のころ初めて入る飲み屋で初めて会った知らない客から右翼って怖いですよねぇとか出し抜けかつ当たり前のように同意を求められて往生こいたこともある。ダイアナ・コンプレックスといって美女ほどモテないというパラドキシカルな現実もある。貧乳のメガネっ子が好みという男が何も悪いことしてないのに異様に肩身が狭かったりする。日本にもフランス語は解るが英語は全くダメという人も実際にいるけど普通に大学はフランス語で受験しましたなんて言われたらフランス語も出来るんですかぁとか訊き返したくなる。おフランス語もと言うのは英語が出来るのは当たり前でフランス語までも解るのかという意味なんだろう。この世は信じたくない話や信じられない話だらけだ。どうだ
面白いだろう。