またも是非論

眞子さま小室氏との婚約延期騒動。またしてもワイドショーで発言する優等生みたいなインテリは最初から結論が決まっているモンキー型の是非論の方に話を持っていく。今度の論理は結婚に親の許可は必要かなんだが当然ながら結論は結婚は当人だけで決めるものだってぇのが結論だ。しかしワイドショーという神聖なる空間で語られるのは是非論ぢゃない。それは話の登場人物の中で誰が最悪なヤツかという切実な好き嫌いの問題だけだ。そりゃインテリの面々は多様な利害が衝突する現場の不自由な空気なんかには脅かされない場所で法そのものや法のバックにある民主主義なんかに照らして物を言ってられる。でもワイドショーが写し出す世界は嫌なヤツが現れたときに法律や民主主義が逃げ場にならない待ったなしの世界なんだ。しかも優等生インテリの論理の根底にあるのは公正な視点というよりゃ自分たちが誰にも邪魔されず常に自分の価値観を最優先して生きたいという赤裸々で身勝手な利害感情である。でも面々の追求する利害の根拠は日本国憲法や世界人権宣言で実際に人間が実現できた現実の手本なんかぢゃない。こうゆう架空の規定を現実の状況と混同する本末転倒
な発想は昔のソビエト政府が法の規定を根拠にソビエトでは土地を巡るトラブルは起こらないと豪語していた論理と変わらない。これらは社会の中での人間にとって望ましい架空の状態を示すものだが描かれているのは誰一人とて行ったことのない創作上の国な風景だ。そこに住んでいるのも法や民主主義から生まれてきたきた幻みたいな人たち。もちろん人間が望ましい社会を作るために努力するのが我らの本道なのは間違いないがノンキな優等生みたいに望ましい社会が当たり前なんだなんてのは本道でも何でもない。個人的に思うことだが人間は憲法や人権宣言から生まれてきたんぢゃなく夜の又から生まれてきたんぢゃなかろか。