まじめに観を修行します

あなたのゴミをお宝塚に的な番組が増えているが実際には金持ちさんの不要品の鑑定だから歌い文句どおりのホンモノのゴミなんか出てこない。だから番組を見ていても金持ちの小遣い稼ぎを見ているようで絶望感ばかりが増殖する。せめてタイトルやコンセプトだけでも変えてもらえたら救いになるか。でも確かに金持ちにして見りゃ不要になった高級品は普通にゴミなのかもね。こんな気持ちぢゃテンション下がるから修行のことでも考えようか。どうせ悩みに追いまくられっ放しの毎日なら大人しく観に帰って大人しく出直してみようと思った。これまでも観で無意味な作為や怒りから始まる状況の連載から脱出し心の基本モードも変えることができたんだから観を止める理由もない。さっそく弱気の背景を観察していったら他人への対抗心あたりが作る弱気のループが見えてきた。さて観を始める以前は当方も目の前の状況を相手に自分が反応してるんだと普通に考えていた。でも今ぢゃ自分の心が相手にしていたのは同じ自分の心だと判った。要するに心が心に乗せられていたという落ち。ところで自分を乗せて走る心が自分なのか。動く心を観察している心が自分なのか。
観を深めていって心が心に乗せられてなくなったら乗せる心も乗せられてた心も同じ煩悩のらしく見えてきた。ついでに乗せられずに観察する心も悟りの心とは疑わしくなる。とうやら心を観察している心というのも結局は未観察で未整理な煩悩の活動に過ぎないような予感がする。だから今後も次々に出てくる隠れ煩悩を相手に憂鬱な修行が繰り返されそうだ。