水虫で読む煽り運転の心理

またも煽り運転で死者が。報道に従えば煽り運転は何かの挑発行為への報復として行ったと弁解しているようだが悪質な加害者ほど自ら相手を意識的に挑発したりしてトラブルの動機を作りたがるようだ。もし煽り運転が他人の悪意への報復行為なら無理矢理に不愉快なトラブルを起こす必要もなさそな話だ。しかし面々が不条理な振舞いを見せるのは異常心理の現れではなく抑えを失った欲求心理の必然の動きだ。たとえば普通の人なら水虫を掻くのが気持ちいいと聞いても水虫になろうとは願わないが一度でも水虫を掻く快楽に魅せられてしまうと自らの足に水虫を作り出したくなるかも。現実には報復は単に不快とたかるシスのギャップだから不快感なしに得られない歪んだ快楽だ。一般にカタルシスでしか快楽を得られない人物は不快感だらけの日常を送っていて不快感を前提にしか行動を組み立てられないと推察できる。でも面々の不快な日常は自らが環境や運命を開拓しないで快楽を得ようとする怠惰な生き方の結果だと言えようか。面々の不幸は不愉快な現実の中にいること自体ぢゃなく他人も自分も幸せになる想定外の快楽を全く知らないオトナにされてしまったことだ。
もう面々が不快感だらけの空間から
脱出するには自分の生き方を一瞬に破壊しちゃうような強烈で衝撃的な出会いが必要か。