主語は開運失敗の言い訳か

昨日は午後から六弦琴を抱いて海辺の街へ。だが電車に乗った途端に掴んできた六弦琴が弦の切れている方だと気づく。ちくしょー。しかし現地に着くや滅多に当たらない宝くじで3000も当たった。ラッキー。ここらから開運モードが開いたかと思って楽器屋に行くと目当てのモノが一つしかない。ちくしょー。と今回は店にいたのが物凄い親切な人で残りの分は訳あり品で良ければということで品質には問題なしのブツを激安で売ってくれた。この楽器屋では代が変わってから丁寧に扱われたのが奇跡のようだった。ラッキー。さて夕刻まで海岸の日陰で六弦琴の激烈な練習。夕方になって少し前に迷い込んだ感じの良い酒場を探しに旧歓楽街に行くが足元不注意で転んでしまう間抜けさ。ちくしょー。でも六弦琴も足も完全に無傷。だが苦労の末に確認できた店は開いてない。ちくしょー。ちくしょー。こんちくしょー。ただし実は宝くじは当選祈願を頼まれていたヤツで自分のものぢゃないが少額当選なら自由に使っていい約束になっていたので儲けもん。旧歓楽街で飲ませて頂くのは断念し依頼者に全額お渡しということでキレイに収まった。少しモヤモヤするがラッキー!これ
がエビめの波乱万丈の午後だった。まぁ実際の開運なんて浮や起伏の連続だ。んなら普通と同じぢゃん。ただしアンラッキーな中でもノー・ダメージというのが開運モードの不思議なんだと思う。そりゃ自分でも言い訳としか思えないけど守られていること自体がラッキーなんだなんて普通に実感できる人だけが運に恵まれるんだぞと無理矢理に信じることにする。

信用できない!

登山家の野口建さん(漢字が違ったかなぁ)は自分が無名時代には高い声のせいで人から信用されなかったと笑って話していた。つらかったでしょう。昔の民俗学者歌人折口信夫は都会の住人だったばかりに自分の提出した報告を柳田国男にインチキぢゃないかと怪しまれたという。柳田邦男は意外と思い込みの強い人だったようで佐々木喜善氏が遠野の伝説を大量に記憶しているのを目の当たりにするまでは地域の伝説の類はバラバラかつランダムに残されているものと考えていたので本物の民話の語り部なんていないと思い込んでいた節がある。よく耳にする話だがタレ目なばかりにアホに見られたり無真面目に思われたりするなんて不条理もあるようだ。また一般に植物の和名を知らずローカルな呼び名しか知らない人は園芸趣味のサラリーマンなんかには信用されなかったりする。学者は概して相手が信用できるか否かを用語や基本文建の知識で確認するが実はホンモノの学者は深い話しが出来るか否かで相手の値打ちを判断してくれるようだ。今や方言て喋る人やワイドショーのネタを話に入れる人も知識人としてはインチキくさく見られ勝ちだし特に最近になって
気になるのは清潔感の有無が信用を決める最大のファクタになっていく傾向だ。とにかくバカ話が大好きで声が高かったりデカかったりで出てくる知識が正確ぢゃなくて清潔感もゼロなんて人は損をするということか。そりゃえっえっエビぢゃねぇか!