演説する化石たち

今日の午後は小保方研究員の反論会見でした。世間の耳目を集める騒動が巻き起こるたびに、ああまた出たよ!と言いたくなるような自信満々で激昂型のオピニオン・リーダーたちの生存が確認できます。もう生きた化石、喋る廃盤レコードです。例えばテリー伊藤氏、松尾貴史氏、くろがねひろし氏、その他では大竹まこと氏、映画監督の崔洋一氏、井筒氏などのような面々です。言っていることが前時代的というのも当然ですが、それより何より今どきにしてはあの物の言い方は恐ろしく時代錯誤的だという感じなんです。何か初めから聞き手である大衆を感心させる発言を狙っている景色!数十年くらい昔まなら世間もノンキな時代でして、まあ他人が感心するような話さえできれば御意見番も合格点が貰えたんでしょうが、今どき結論ありきの信念垂れ流しーの、反対意見は潰しーのというのは何やら時代錯誤もいいとこです。その手の面々の小保方研究員を巡る発言でも、まあ迷いの気配一つ見えない明確なご意見でございます。「(小保方研究員みたいな)ああいう教授転がしが上手い人間がいるんですよ」と小保方研究員の日常も科学業界の内情も全て知り尽くした
かのような発言(テリー伊藤氏)、「(理科学研究所は)なんで「悪意」なんていう言葉をわざわざ使うんですかねぇ」、「(理科学研究所が)いい加減な審査をやってるってことでしょ」などの徹底した理科学研究所攻撃(松尾貴史氏)…。ああ、そうなんですかあ!なんと申しましょうか、自信過剰というか、唯我独尊というか、とにかく物の言い方が断定的で演説口調だし、何でもカンでも単純化しちゃうし、ナゼか声が大きいし、常に自分が一番の事情通で、真実を見抜く独自の眼力をもち、知的な訓練を誰よりも経験しているみたいな態度で発言します。しかも決まって特定の人間や集団を全面的に支持したり、逆に攻撃したりします。なにしろ他者に対する評価も初めから決まっているから、この手の人たちは、異なるイデオロギーや見解の持ち主に対しても最初から感情むき出しの攻撃的なスタンスを採ります。困ったもんです。こんな感じのスタンス、数十年前までのテレビやラジオでは普通で、むしろオピニオン・リーダーの平均的な態度だったかと思うんです。正直な気持ちを申せば、こんな連中には飲み屋なんかでゼッタイ
に会いたくありませんが、当時こんなに不快きわまる態度の人間が持て囃されていたのはナゼなのか、そしてナゼ今でも生き残っていられるのか、それを考えると頭を抱えてしまいます。確かに昔は信念とか確信とかをもって勇敢に自分を押し出すのもカッコ良かったんでしょうけど、当時それがカッコ良かったのは情報源も限られ教養ある人も少なかったので少しでも知識があれば自信満々で物が言えたワケですから仕方ない話とも言えます。しかし不思議なのはゴリ押し演説キャラが今でもピンピン泳いでいられるのはナゼかということです。まあ答えは出て来ませんが、どうやら彼らは大衆の代理暴言発生装置としての機能を果たしているような気は致します。本当なら意見の違う人間とも対話ができ、発生した問題も工夫して解決できるのが一番なんですが、世間にはそうゆう芸当が全く苦手な人がいて、とにかく意見の違う他者とはケンカする、問題が起きたら解決策なんかなくてもカッコいいとこを見せようとするんです。こうゆう皆さんは決まって自分の意見を押し通すのがカッコいいと決めている感じです。でも、こうしたカッコいい大衆はアタマの関係がちょっと…ではな
いかと疑われます。一方、アタマの良い時代錯誤型コメンテーターさんたちは、そんな皆さんの理想的人間像の体現者として崇められているのでは、と思うんです。デリー氏型の皆さんが出てきても、テレビを消せば済むんでしょうが、こうゆう人は近所のスナックなんかにも出没するんです。ああホントに困ったもんです。そういえば、かつて相撲界の闇賭博疑惑が持ち上がったとき、デリー氏が「相撲部屋ではねえ、花札からネット賭博まで、みんな日常的にやってますよ」と自信満々に演説していたら近くにいた相撲親方に本気で怒られてしまいました。