政治神話学

今やテレビで貴乃花の所業に意義を唱えたり疑問を呈したりするのは一種のソフトなタブーになっているようだ。なにしろテレビで誰かが貴乃花の態度を少しでも批判したり反貴乃花勢力の言動を少しでも擁護したりしたら最後!隠蔽体質や馴れ合い文化の味方なのかと言われて吊し上げられそうだ。極端な場合には暴力肯定派の烙印まで押されそうになる。いやはモニターの向こう側には貴乃花の英雄的な行為に文句をつけるような無謀な人間は一人もいなくなった。誰もが異口同音に貴乃花を称賛しているのだ。こうゆう全員一致で他の見解が一切ないという景色は話題の種類とは無関係に気持ち悪い。そもそも組織の世話役を仲間内から推薦して任命する営みそのものが全て悪なのかが疑問だし多くの親方が貴乃花に投票しなかった動機を改革への反感だと決めつけるのが妥当な見方かも疑わしい。あの濃すぎるキャラには付き合いきれませんなんて動機も想定可能か。むしろ多面的な動機で動く生身の人間の判断としては自然でさえある。んな感じで争点が妙に単純化されている昨今の議論が気になる。もしや今回も政治ジャーナリズムの祟りでは。とにかく政治ジャーナリズムとい
うモンスターは全てを国政との関連で説明しようとするし全てを国政のアナロジーで語りたがる。もおぉ何でもカンでも政治の話に引き付けてしまうのだ。しかも設定されている状況モデルが不自然なまでに単純明快になっている。そのドラマに登場するのは強欲な権力者に味方する保守政党と迫害されている民衆を助ける正義の革新政党だけで全ての営みも事件も両者の戦いの反映になってしまう。これじゃ神vsサタンの二元論神話の世界ぢゃないかいな。ユダヤ教ゾロアスター教ぢゃあるまいし現世は神々のイデオロギー闘争の場だと言うのか。この神話モデルが適用しにくい現象もあるが心配無用で政治ジャーナリズムは連想という巧みな技で一切を自在に結びつけてしまう。例えばゲーノー界の不倫スキャンダルの話もナゼか代議士の政治倫理の話と対比されて政治の話に入れ替わるし悲惨な交通事故も当事者の生々しい事情を飛び越えて運輸行政の不手際を持ち出し政府の批判に化けちゃう。もちろん今の時代に政治や法と全く無関係な営みなんて何一つ想定できない。ただし世の中には国政の問題だけで説明し得るようなノンキな事情なんて一つもないし政治以外の問題
が全く排除された事情もないだろう。それに全面的に正しい人間も全面的に悪い人間も極めて稀にしか現れない。そんなんファンタジーを本気で想定して現実世界を型っているのは今や政治ジャーナリズムくらいなものか。正義の人には欠点もあるし多少の無謀も付きまとう。正義の人のファンなら多少の無謀くらい大目に見たくなるのも自然なことだ。でも政治ジャーナリズムに化かされてしまうと大目に見ることと正当化とが混同されてしまう。何かを正当化しているときには誰かの意図に追随してしまう危険性も付きまとうが誰かを自分の意思で大目に見ている限り自分の主体的は失われない。政治ジャーナリズムの神話操作には用心しよう。