蛯原硝とミイラとゾンビ。

お墓はボクらのマンションだの後は曲が作れなかったが半分は完成していた東京骸骨が一気に出来上がったのはミイラのミライが突如として降りてきてからの話だった。それからも曲が作れない時期が続いたが大きな転機になったのは博物歌謡という特殊ジャンルが確立できたことだったと思う。博物歌謡というのは博物学的な知識や社会の仕組みなんかを純正歌謡曲的な歌詞で表現するスタイルみたいなものだ。その方向性が固まったころから歌詞の一部が浮かんできて全体の構成が掴めれば曲が出来るようになった。ミイラのミライが博物歌謡だと気づけなかったらワタシはゾンビやナマコの歌や大江戸ブラックナイトや中央線の死神も生まれなかったに違いない。それにしても最近は曲が出来ない。ちなみに最近は「iPA細胞」のことを考えている。