変容する感覚

やっと毎日のオツトメに自然な感じで入れるようになってきて観想にも慣れてきた気がする。ここんとこ修法メモのテーマは観想に集中している。やはり仏様との一体化はイメージすること自体が難しい。仏様と一体になるための伝統的方法は自分の口からポンポンと出る真言の声が仏様にポンポン届き仏様の声が自分の頭頂にポンポンと戻ってくるのを観想することなっている。これが実修してみるとベラボーにピンと来ない。だから素人が手を出しても無意味だと言われるのだが実際に工夫しても工夫しても例の如くイメージ作りに気を持っていかれて集中しにくい。そこで慣れるまでの苦肉の策として最初に伝統どおりの観想を進めてから続いて仏様の功徳のガスが充満している空間をイメージする。その中で自分と世界が2つの段階を経て清らかに変容するのを想像する。まず第一段階で自分を変容するために仏様の姿から迫ってくる圧倒的なインパクトを掴む。例えば歓喜とか憤怒とか慈悲とか勇気とかが迫ってくるのを待っ。そうすると自分に仏様の表情が自然に映って[移って]くる。そこから第二段階に入り仏様の得意技や御誓願を感じ取りにいく。このとき自分
が加持する側に立って仏様の誓願どおりに世界が緩やかに変容し整っていくプロセスを意識し
に行く。例えば孔雀明王なら
毒蛇が消えて神通力に変わるイメージ。不動明王なら炎で様々な悪が焼かれて正気の心が現れるようなイメージ。ついでに勢いで迷いの世界が一挙に本尊様の浄土に変容し自他の煩悩も仏様の功徳に変わっていく流れを体験する。こうすると仏様と一体化するという抽象的な観念にも具体的な手応えが出てきて場の空気感も身体感覚も気持ちもフワリと変わってくる。目の前の空間が休みなく変化していく感覚。ここに何か大きな作用がありそうだ。こんな身勝手な工夫に意味があるのか自信はない。それどころか邪道にでも流れていないとも限らない。しかし師匠に出会えるまでは可能な限り誠実に文献を調べながら工夫を続けるしかない。仏様ぁインチキに流れないように守ってえ。