[復帰体勢]…受難!?

anesti2013-03-24

キリスト哀れみたまえ 
 先週は不思議に永いこと話していない数人の仲間から立て続けに電話がありました。特にオタク系の仲間とは、珍しく何度も電話で話しました。恋愛の悩みも聞いていた一週間でしたが、なにしろ色々と相談に乗ってもらいたいような身です。相談にも乗れず。ただその痛みはわかるよ…小生も状況は違うけど同じような感じだ…と言うのがセイゼイでした。そんなことがあるとシュレディンガーのネコみたいな小生だったのに、逆に少しだけ復活を意識していました。カトリックでは今月末の31日はキリストの復活を記念して祝う復活祭です。教会によってはユリウス暦でなくグレゴリオ暦に合わせて復活祭を行います。そういうワケですが、明日辺りからカトリックは受難週のモードに入ります。この期間にはキリストと弟子たちとの最後の晩餐があり、ユダの裏切りがあり、ゲッセマネの園でのキリストの悲痛な祈りがあり、キリストの逮捕、裁判、処刑、埋葬と、胸の詰まるような出来事が続きます。カトリック信者は皆この一週間にキリストや弟子たちの、こうした胸の詰まるような経験を思い出して追体験します。なかでも「十字架の道行き」とか「ヴィア・ドロローサ」と
か「ごパッシオン」とかと呼ばれる黙想は心にグッと来ます。刑場に引き立てられてゆく惨めな姿のキリストに石を投げて罵る人々、それは数日前までキリストを王のように称えて歓声を上げていた人々でした。なかにはキリストに助けられた人々もいたに相違ありません。この人々の恐るべき姿、実はそこに反映しているのは、誰にでもある人間の心の弱さなのでしょう。そう、そこで石を投げているアイツは、ここで知らん顔を決め込もうとしているオレ自身なんだ!という話です。痛い!仲間と悩みを共有できて…いや本当は傷を舐め合って少し優しくなった小生も、毎年この時期はナゼか超陰鬱な気分になります。なんとなく受難の期間の気分だけを体で覚えているようです。その後には復活があるのですが…。復活!感じの良い言葉です。サロフの聖セラフィムみたいに1日に1000回でもハリストス復活!を絶叫したら、本当に魂の復活にあずかれるでしょうか。しかしもちろん聖セラフィムのような根性はありません。
 人は誰でも自分の心の弱さや知恵の足りなさなんかをつい忘れがちです。キリスト信者じゃなくても、普段の生活に紛れて失いかけていた自分の大切な美徳を回復させる必要があります。そのようなジャンプ台としてでも復活祭を思い出して下さい。
 弱い立場の仲間のために祈りましょう!