明日はカトリックじゃ復活祭!

きょうは受難週最後の一日、小生は東京・荻窪でリサイタルです。来てくれる人は、どういう気持ちでお迎え致しましょうか。利得と快楽とチャンス渦巻く東京の街で、そうした暫時の価値には目もくれず参集して下さる方々、それは、聖人マキシモスやパラマスに勝るとも劣らない強靭な徳の持ち主と推察します。おいでになれない方々の事情には一々納得して良いものばかりです。こられない方々にも神の恵みとご加護のあらんことを!ついでに一言、世間にはよく「用事がある」と言って何かの誘いを断る人がいますが、論理的にかんがえて「用事がある」は言明として無効です。用事についてはそれが有るか無いかが誘いを断る上で問題にはなりません!誘いがあったことはそれ自体か新たに提示され。発生した可能態としての用事になります。ここで問題になる事項は用事の有無ではなく、用事の優先順位のみです。ゆえに「用事がある」という表現は正しくなく、少なくとも語用論的には「あなたのお誘いより優先順位の高い用事がある」ということになります。「用事」が出来たというのも意味は同じで、結論としては「用事がある」は誘いを断る正当な理由にはなりません。
。こられない皆さんの「用事」は明ら
かに今日のリサイタルなど放っておいても優先したい出来事です。Y先生はカトリックのミサ、回頭見(かいとうけん)氏は横浜でのFC東京の試合!納得です。