…暴飲!暴食!そして時間の伸び縮み

anesti2013-05-02

鳴いてます聞こえませんかホトトギス
ウグイスにマージン出せよホトトギス
キリギリス見せてやりたいホトトギス
まだまだと工夫に夢中ホトトギス
ボリュームに気配りをするホトトギス
鳴くのなら予算を取ろうホトトギス

先週の金曜夜は都内府中市にて暴飲致しました(暴食はなしです)。こういうのは久しぶりであります。翌日の土曜日も不可思議な縁にて日のあるうちから暴飲となりました。終日暴飲といっても黙って飲んでいたワケでもなく、色々話していたのでしたが、あまりに楽しくノリが良い会話が成り立つていてナゼか内容が思い出せません。確かに濃い内容だったのですが、いったい土曜は何の話をしたのでしょう。解放感だけが残った昼下がりでした。実は時々これをやらないと頭がクリアになりません。際限もなく下らないバカ話をしながら、腰が抜けるほど暴飲すると、その後ナゼかアタマが極度にクリアになって問題意識が一挙に整理されたり、度肝を抜くようなヘンテコなアイデアが出たりします。それまで全く理解できなかった難しい本の内容が、一発で解ったりもするので、出来れば最小でも月に一度くらいは暴飲したい気持ちです。
 最早これは時間が伸び縮みするというアインシュタインの世界です。よく机の前で何日も徹夜してウンウン言いながら勉強する人も世間にはいるようですが、小生の場合に限って言えば、こうゆう人に尊敬されそうな手法は特に果的ではないようです。これは純粋に技術の問題で、そこに倫理が入ると事態は無意味に複雑化する恐れが出てきます。もちろん人生を犠牲にして勉強した偉い人もいましたし、徹夜の連続で休みも入れず勉強するのがカラダに合っている人もいるのは確かな話でしょう。それに気がヘンになるほど勉強しないと解らない世界だってあるのは事実です。ただし!それが定番だとか、正統だとか、ひどい場合にはそれが人間として歩むべき道なのだ!などということになると話は別です。大体において勉強=努力というイメージは学校という特殊な社会空間で形成されてしまった限定的な常識に過ぎないような気がするのです。そもそも勉強というモノは初めから苦しいもの、楽しくないものという前提そのものが歌川広重並みに疑わしいです。
 少年期をあまり学校に行かずに過ごしていた小生の経験では、学校に行っていた期間より、行かなかった期間の方が遥かに勉強できていましたし、むしろ学校では毎日毎日バカになっていくような感じでした。確かに遊んでばかりいるのは宜しくないのは間違いありませんが、勉強ばかりしているのが偉いとも言い切れないような感じもします。
 学校ではウサギよりカメの方が偉いと教えます。キリギリスよりアリの方が良いと言われるものです。しかしウサギの問題点は最後待て油断して寝ていたことにあります。キリギリスについても、辛い労働に疲れたアリに癒しを与えられていたら寒い冬もアリたちと楽しく温かく過ごせたに違いありません。ちなみに、すでにどこかに書いたとおり、イソップの原典に近い本では本当にそうなっているようです。場合によって時間は伸びたり縮んだりするのです。