…ナメクジ爆発

ホトトギス何が何でもホトトギス
ゲリラ戦ゲバラの次にホトトギス




 今日は少しだけ気分を変えて外で5月の風を受けながら難しめの理論書を読む所存でおります。華厳経も気持ちを新たにすべく再び冒頭部分を見直します。
 今日は5月五日、もう一週間になるのか、府中で暴飲したのは4月28日と昭和の日にあたる翌29日だったのですね。今、朝のお経の支度をしていたら、ナゼか府中で飲んだときにしていたバカ話の断片を思い出しました。ナメクジの話でした。確かにそんな話をしていました。なるほと馬鹿馬鹿しいにも程がある!


「ナメクジって、あれ分類上は何なの?」
「ええと…まあ、あいつはご推察のとおりカタツムリのカラのないヤツで、まあ貝の仲間です、けっこうデカいヤツもいて…おそらく一番デカいヤツはサマージャンボ・ナメクジかと!」
「気持ち悪いねえ!年末ジャンボ・ナメクジなら正月か来た途端に帰ってくれそうだけど、サマージャンボ・ナメクジとかは3ヶ月くらいは居座りそうだよねぇ」
「ええ、嫌な感じですよねえ、でも気持ち悪いと言ったらグリーンジャンボ・ナメクジでしょうかねえ」


恐らくこのテのバカ話を誰も見ていないのを良いことに際限もなく延々と展開していたのですね。しかしこういうのは頭には絶対に良いことだと思えました。いわゆる「ブレーン・ストーミング」というヤツで、普通には使っていない領域に活動の機会を与えるのだから限度さえ守れば間違いなく良いことに効果が出る予感がします。動物には既知の対処法が通用しない危険な状況から脱出する方法の一つとして、行動爆発というのがあると聞きます。とにかくデタラメに全身を動かし無原則に動きまくるのです。もう既知の外の出来事ですから既知外の行動を取るワケです。生物としての人間にもこうゆう既知外沙汰はある程度必要で、実際こうした既知外沙汰の行動を積極的に医学に取り入れる動きがあります。バイオ・エナージュとか、ドーマン法とか、 なんか今の正常な人間のクールなイメージってのは、ある種のフィクションではと感じます。啓蒙主義あたりから始まる人間像を無理に現実化させたような怪しさが漂います。
 そうだ!突然ですが思い出しました!あの懐かしい戸塚ヨットも確かドーマン法の理論を援用していたのではなかったでしょうか。