…時間制御

anesti2013-05-14

初めから俗世が好きなホトトギス
またしてもビールの頃にホトトギス

お前なら必ず鳴けるホトトギス
今に見ろいつかは鳴くぞホトトギス

「困るんだよなあ」
「あいつ、もう九年も座ってるんだぜ」
「こんなに広い少林寺、なにも入り口正面のド真ん中は酷いよな」
「ああ、やっと立ってくれたぜ、でも座ってた場所に穴が開いちまってる!」
「おい!覗くな。そいつはヤツのトイレだ!」

現在もなお華厳経は十地品の辺りを彷徨っております。華厳経に書かれている悟りに至るまでの無数の段階や各段階に到達するために必要な不可能に近い修行の数々、そして悟るまでに要する膨大な時間、この絶望的な内容の経典の唯一の希望は、華厳の世界では一人の人間が同時に複数のことをやってしまう世界だということです。昔の変な歌で「タバコくわえて口笛吹けば」なんて考えたらクラクラきそうなのがありましたが。華厳の世界では菩薩たちは一瞬のうちに天文学的な数のテーマについて思案できたり、一気に何千、何億という仏様の教えにアクセスできたりしてしまいます。現実にはこんな話はないにしても、華厳経の世界観を集中的に考えたりした後など、通常のとは待ったく異なる頭脳の使い方が経験もされます。その状態では複数の思考や情報処理が同時並行的にできてしまうという景色で、この時の感覚というのは何と言ったものでしょうか、まるで表では通常の意識が普段のように活動しているだけなのですが、後で気付くと裏にある別の意識の活動が自動的に進行しているという感じです。  華厳経の示す広大な内容は、その枠組みを把握するのさえ難
しいと思えますが、少なくともそこに示された世界は頭脳のなかで展開されているにせよ、確かに経験可能なことが解ります。
 おそらく密教の教義の前提になっている世界観も基本的には華厳の世界観と同じように感じられます。考えようによっては密教とは華厳の世界観を実体験する技術体系とも言えます。密教の教えの重要な部分には時間の問題との関連が見られます。空海が言ったように「通常の人間は徒歩や馬で移動するが密教は神通に乗って移動する」とか、「密教の修法を行えば[結果は]即座に現れる」という言葉のとおり密教には時間の制御技術という側面があります。例えば超高速記憶術として知られる求聞持法も一種の時間制御です。そしてそもそも密教独自の成仏観である即身成仏だって、通常なら悟りに到達するには気が遠くなるような膨大な長さの時間をかけて何度も輪廻転生を繰り返し必要があると解かれるのに、密教では人間が今ここに生きているうちに、その場で仏様になれるというのです。これはズバリ速成成仏!