あと1ヶ月…退場する空間

また来たか!居たきゃ居なさいホトトギス/さあ鳴くぞ!今年最後のホトトギス/最後なら真面目に聴こうホトトギス


 先週の話です。久しぶりに町の古本屋さんにいってみたら、店のご主人が「実は話があって、ずっとお待ちしてたんですよ!」と仰います。なんか普段とは違うような、何となくタダならぬ感じです。聞けばなんと!来月末をもって、小生らが長年に亘ってシケ込んできたこの古本屋さんを急遽閉店することになったというのです。驚きました!およそ30年続いたお店で、町の商店街のなかに当たり前にある景色になっていただけに、何か一つの歴史の終わりを予告されたような気分になりました。この店はおそらくこの地域に初めて出来た古本屋さんで、開店直後から頻繁に通っていましたが、いつも安目の本をそれもオズオズと買ってゆくだけでしたから、頑丈そうな体つきのわりに紳士的な話方のご店主とは特に言葉を交わすこともなく、そのまま30年近くの時が流れてしまいました。ふとしたキッカケで話すようになったのは最近の2、3年のことです。話して見ると非常に話が面白い方だと解り、もっと早くから話しておけば良かったと思いました。そうなるってえと今度は用もないのにヒマさえあれば店に遊びにゆくようになりました。ご店主も小生を邪魔になさることも
なく、好きなだけ店で遊ばせてくれていました。このご店主、古本屋さんになる前は色々な仕事を経験され、マンガ雑誌に連載をもっていたこともあるということで、そのせいか、その経験談の数々はケチな奇談や冒険譚などを遥かに越えた面白さでした。南極観測隊から注文を受けた特製のコートを東京タワー下の事務所に届けにいったらボロカスにケチを着けられた話、あるバイト先で、夜中に同僚たちと座って休憩していたとき、一人のゴム長に火が着いて燃えているのに、長靴を履いていた当人も、周囲の同僚たちもみな全くの無反応だったという不気味な目撃談、旅行中にトンネルのなかを歩いていたら、後ろから汽車が轟音を響かせて走ってきたという恐ろしい体験、八甲田山頂近くの静寂のなかで聞こえてきた蒸気機関車の汽笛の幻聴の不思議、その他、話題はスポーツから映画、昭和の裏面史や世界の怪事件、落語に推理小説と縦横無尽でしたが、何より驚異的だと思ったのは、話に登場する事件や人物に関する諸々のデータをかなり正確に、詳細に記憶されていることで、聞いているこちらは何かドキュメンタリーでも読んでいるような迫真感を味わえるのでした。あまり
の面白さのために2時間以上も立ちっぱなしで話しを聞いているなんてことも増えてきました。そんなこんなでしたが、あと1ヶ月少々です。もう本を買いにゆくところも(そして買い取ってもらえるところも)近くにはなくなります。この町から知的な雰囲気の場所がまた一つ失われてゆくのです。そして何よりあの現代版千夜一夜みたいな世界も、間もなく消えてなくなるのです。やはり万感胸に迫って参ります。小生にとって不可欠だった立ち回り先がなくなるその瞬間を、小生は如何なる気持ちで迎えるものでしょうか?そしてこの店の最後の一日は如何なる情景になるのでしょう。長年親しまれたお店が閉まるとき、ある場合には、しばらくは近隣の人々の話題になって、閉店当日は多くの人に惜しまれながら最後の営業を終わるのでしょうが、別の場合には、店そのものの存在も忘れ去られていて、誰にも見守られないままに、ひっそりとその歴史を閉じることもあります。数年前でしたが町の外れの外れ、その寂しげな場所には不似合いな大きい洋品店が店閉いしました。その日も店にはいつものようにほとんどお客もなくて、いつものように時間まで営業していて

時間になったら普通に閉まって、という感じでした。それが妙に鮮烈なイメージとして心に残っています。そしてその翌朝には二度と開くこともないシャッターの真ん中に、ただ「80年間お世話になりました 店主」と書かれた貼り紙が貼り出されていただけでした。かつてはその辺りにも多くの商店があり、この洋品店も近隣の地域から詰めかけたお客さんで賑わっていたそうです。今では洋品店のあった風景の記憶も少しずつ薄らぎ始めています。
 ふと思い出したことがあります。古本屋のご店主と話すようになって間もないころでした。「田舎の鉄道なんかの廃止がきまると、急に乗客が増えたりするけど、ありゃ〜どうかと思いますなあ!」なんてご店主が言いました。そんなことをいうので、当初はご店主をイヤミな小インテリか何かではないかと警戒したこともあります。しかし人は少し時間をかけないと良さが見えて来ないもんです[ご店主にしてみたらワザっとらしい振る舞いがお嫌いなワケなんです]。さて小生、閉店が決まってからというものやたらとお店に通っております。こうゆう心理、どうかと思わないで下さい。様々な記憶が刻みつけられた空間が見慣れた世界から退場してゆくのを最後まで見送りたい心理、ご店主も解って下さると信じています。

 ご店主、店を閉めた後もこの町に住まれるご予定とのことです。