オリエンタルカレー

anesti2014-01-20

久しぶりに買ってきました!ウルトラQ世代の関東の人には懐かしい懐かしいオリエンタル・マースカレー。名古屋では今ても定番の便利な粉末カレーです。東京では子供たちが三丁目の夕日をみながら、マースってなんだ?ソースの親戚みたいなもんか?じゃロースとかジュースも仲間かなぁ?なんて推理していたのです。子供の頃には幸いに知識が思考過程を制限しないおかげで様々な物の関連性を勝手に自由に推理できます。そして本人や仲間が納得さえできれば推理の結果は勝手に結論みたいになってゆくのです。ロースは置いとくとしても確かにジュースとソースとの間には不可思議な共通性があるので、そんな結論を言われると納得したくなったりします。。それならマースだってソースの仲間で納得できます。小生なんかもツタンカーメンのカーメンはゼッタイに仮面のことだと信じていました。シーラカンスも海のラカンスだと思っていたので、ついでにラカンスという陸上生物か淡水魚の存在も信じていたんです。それからそれからフランケンシュタインですが長い間フランケン死体ンだと思っていました。怖さの上に怖さが加わります。こんなバカな子供流推理は大人の
世界では全くの邪
魔者になります。だから子供たちは大きくなるにつれて無意味な推理遊びをしなくなってゆきます。しかし小生は今でもうゆう推理が大好きです。大体において楽しいし、場合によっては役に立つアイデアが生まれてきますからこの遊びからは「卒業」致しません。推理遊びを捨ててしまった大人というのは何か問題解決を迫られたとき、ナゼか特に考えなくても出てくるような当たり前な解決策しか思い付かないもので、そんなとき子供流だと想像可能な全ての突破口が次々と心に浮かんでくるのですからオトクというもんです。もしかしたら大人とは考えることをやめた人のことなのかもしれません。子供の快楽とは推理することにあったとも感じます。確かに大人は推理の対象になるような未知なる世界を楽しむよりは排除したがる傾向をもっているように感じます。もし貴兄が子供時代の快楽を懐かしく思ったなら、試しに未知の領域を腰が抜けるほど推理してみたら如何でしょうか。忘れ去られた快楽の世界は即座に貴兄の目の前に現れることでしょう。オリエンタル・マースカレーを見つけたときにはウルトラQの頃を色々思いだしましたが、小生のアタマの使い方は今でも昔の
ままだと改めて痛感しました。もう今はワタナベのジュースの素も春日井シトロンソーダも当たり前が出
たらもう一本!のホームラン・バーもありませんが、今日も小生の無意味な推理遊びはグルグル回り続けております。