朝からマニアックすぎる

夢のなかで古い城下町の外れに点在する歴史あるお寺を回りながら何かの図像を集めていました。一軒目は小さな小さな尼寺で、ここでは背の低い太めの老罨主と玄関先で簡単に会話を交わしただけで図像を貰えました。二軒目は大きな寺院でしたが、ここも話は簡単に終りました。三軒目に訪問した寺は大きな寺の中の離れ座敷のようになっていました。ここでは座敷に上げてもらいコタツに入って話をしました。生活感満点の部屋にいた70年代風の髪型をしたTシャツ姿の若い有髪の住職は物凄くいい人でしたが仏教についての質問に全く答えられません。しかしその夫人らしき人は寺の歴史から仏教の教理全般にまで精通していました。話が終わって帰り際に夫人に貰った手刷りのパンフレットを見ると右斜め上にあるイラストが気になりました。そこには真言密教の護身の法の印(いん)が正しく描かれていました。寺は曹洞宗だと聞いていたので、密教の図案が入っているのが不思議でした。説明によると元々は廃れた密教寺院だったところを曹洞宗の僧が再興したが、以前の密教寺院も今のような形で残したのだそうです。ただ、パンフレットに密教図案を入れたのは夫人の個人的趣味だとのことでした。寺のある郊外は特に食堂も店もなくバスの便も極度に少ない場所

、バスを逃すと数時間は何もできないことになるような地域でした。三軒目の寺の誰かがバスがたくさん出ている通りまで車で送ってくれました。夢はこんなもんでしたが、目覚めてからも夢の印象が消えず、夫人に教えて貰えばよかったと思う事柄がアタマに明確に残っていました。あの護身法の作法は何流だったのか、自分の身に付けたのは小野流なのか広沢流なのか、また理性院流では修法するとき指先を真上に向けるべきか斜め前に傾けるべきか、西院流には声明の他に護身法の特別の作法があるのか…。そんなことを思い出していたとき、確かに自分は見たいものも見られずに旅先を離れる時と似た感情で夢が覚めたのを悔やみました。これらの疑問は何年も前には確かに物凄くリアルに気になっていたことだったんですが、ナゼ今朝になって突如として意識のなかに浮かんできたのか、不可思議です。しかも朝からマニアックすぎます。