珍案!選挙の民俗学:いやぁ…もう誰かが手を出していそうだ。

世襲上等!国政選挙の季節でございます。聖地にも選挙ポスターが賑やかに貼り出されました。また各地の選挙区から二世議員やタレント候補なんてぇのがゾロゾロ出てくるのかなぁとか思う日々です。さて毎度のように間抜けな所感を:さて出し抜けに相続の話。普通の意味での相続の本質とは何か。相続によって継承されるのは何なのか。財産?生家?家督権?家名?民俗学の出した一応の結論では先祖祭祀の義務つまりお墓の管理責任の継承だとか。ところで二世議員世襲議員なんていうのが増えてきたように。本来は個人に関わる一代限りのはずの議席現代日本では相続可能な利権のようになっている。議席世襲とか選挙区の継承とかいう自然発生的な現象には非常に民俗学くさい土着性を感じる。表面的には親の議席や選挙区を子どもが継ぐシステムのように見える利権継承の過程には解りやすい表層構造とは別の複雑な深層構造があるようだ。表層構造では相続の主体は親子関係にある候補者で客体は議席、選挙区、組織ということになるが相続過程を詳しく観察すすと実際に候補者の擁立に動くのは候補者本人ではなく後援会だと解る。しかも仮に世襲が行われない場合
に擁立さ
れる新たな候補者には前職との血族関係や姻戚関係は必ずしも求
められない。ここから新たに表面化するのは議席等が親から子に継承される場合でも相続の主体は候補者というより後援会であり相続される客体は候補者に付随する利権という景色になる。この後援会は恒常的かつ固定的な中核メンバーと選挙の際に増減する流動的な周辺メンバーで構成される一種の“講”に似た性質を帯びている。この講についても興味深い構造がみられる。実は地方の首長の後援会は特定の県会、国会議員の後援会の末端組織としても動く仕組みになっている。講は連の構成メンバーだったのだ。そこで国会議員の出馬断念や引退も議員個人のレベルを超えた“連”全体の利害の問題となり必然的に議席の継承も模索されることになる。要するに選挙制度近代法によって規定された近代的制度として運用されるのではなく土着的な民俗行事や伝統制度として実行されているものと理解できる。もし選挙に関わる様々な典型的不正を近代的選挙制度の基準からみれば明らかな不正になるが視点を民俗的な営みと見れば驚くほど“自然な”振る舞いとして“温かく”理解・受容できそうだ。制度は正しく運用しれるべきだという声もあるがホントに
動いているのは元々近代的制度なのか疑わしい。候補者も後援会も有権者も現実には自ら選択した民俗学的な土着原理で動いているのを誰が否認できよう。当選だるまに鏡開き、当選ボードのバラの花、口利き、仲立ち…選挙を民俗学で捉えたら面白そうだが今の文化人類学なんかが扱っていそうだ。しかし今後の選挙の景色とは…。