雑念を分解する

禅では雑念が湧いても放っておきましょう雑念は起こるままに任せましょうと教えるが実際に何をすればいいのか解らない。それを自分のチカラで掴んでいくのが禅なんだろうが当方みたいに気の短い面々には観の知恵を借りて雑念を分解処理するのも悪くないだろう。雑念を分解する作業にはエーリッヒ・フロム式の夢分析の基本手順が有効か。フロムは夢を通じてクライアントの最近の心境を調べ次に幼少時の体験から類似の心境を探し出す。フロムの見解によると夢は言語化できない自分の心境の現れだと言われる。分析によって言語化できた今の心境は実は表面的なもので根底には幼少時の切実な感情が隠れていると捉えた。観では夢を媒介にするのでなく雑念そのものを詳しく観察しフロムの夢分析と同じように雑念を構成している今の感情や欲求に分解し忘れていた昔の心境へと降りてゆく。このとき自分の心が遠い過去の膨大な記憶にも左右されていることも実感するだろう。そして雑念の構造が掴めると雑念は自然に分解してゆくようだ。この段階を過ぎた後に現れてくるのが独特なドライブ感や浮遊感や融解感だった。やっと見えてきた世界は座禅の奥座敷なのか入り口な
のか。もしや迷い道なのか。