巨大都市は許してくれない!

過日の巷の話題。題電車の電車の中で突如として産気付いた女性が乗り合わせていた乗客らの温かい協力で無事に出産との噂。そのとき隣に看護師さんがいたとか当日に限ってバスタオルがカバンに入れてあったとか現場には数々の偶然が集まっていたらしい。こんな感動的な出来事にも一部のネット住民は悪意の批評を展開してきたという。やっぱりね!もはや文字による集団リンチ!批判は主に臨月の妊婦さんが電車で移動すること自体が無責任て迷惑だという主張が中心だったらしいが報道された限りでは派生的に出てきた批判の大多数は妊婦さんにリスク予防とか自己管理とか行動の計画性なんかを要求するものや周囲に与えた多大な実害を指摘するものが目立ったか。これらの見解の背後には不気味な共通性が読みとれそうだ。それはネット住民が都市機能の安定的な稼働を阻害した行為に憤慨していることだ。確かに都市に生きる人間は高度にシステム化されたインフラの恩恵を受けながら生活を営んでいるが同時にシステムの効率的な稼働を損なわない的確なる行動を要められている。この都市インフラは膨大なエネルギーと労力を費やすことで何とか安定性を保てている。し
かし都市生活者
は忙しい日常の只中でシステムの背後にある生身の人間の活動を忘れてしまう。そんなとき人は日常としてな都市機能の停滞を許さない。そして都市で的確に行動できなかった人間はシステムの稼働にとって阻害因子と捉えられるばかりか安定なシステムの恩恵に依存している人間にとっても一種の異物とされてしまう。この体温を失った街では人間の変則的状況や複雑な背景や一瞬の戸惑いまでもが罪悪になってしまう。ホントは誰でも変則的状況に捕らえられる可能性を抱えている。だから都市機能は常に停滞する可能性を秘めているし誰もが都市機能の阻害因子になり得る。でもシステムの都合どおりに動けない人間は都市の邪魔者ぢゃなく弱者だ。現実に全ての人は弱者を助け弱者に協力することで脆弱な巨大システムの安定的な稼働を守り迅速な修復を支えている。我らの快適で安全な生活は我らの善意で支えられている。時々は都市の見えないリアルを思いだそう。