人法二空

上座部仏教の中でも最大の部派として知られた説一切有部は人間の心は空だが物質は存在すると主張していた。これに対して大衆部は心も物質も空であり長い目で見れば一切のものには実態がないと主張した。そんな大衆部から発生した大乗仏教も同じ立場に立っている。それが人法二空の理と言われる。般若経では空に18の相を設定したりするが一般には空は諸行無常を通じて実感される。春に劇的な変化を見せる桜は諸行無常の理を端的に見える化してくれるが実は花見の様相にも緩やかな変化が始まっている。今日は日が西に傾いたころに地域最大の花見スポットに出かけてみたが夜になってみると決まってライトアップされていた広場の奥の桜の巨木の周囲は通常と同じく薄暗くなっていた。このことに失望するリピーターの嘆きも耳に入った。もちろん桜は時が来れば例年のように咲き乱れるがライトアップがなくなると同じ桜の去年も去年と同じには見えない。その演出の変化のせいなのか広場を通り抜ける人は多くても花の下に座を設け長らく留まる人も少ない。以前は濃密だった花見の季節の空気も今や自然に希薄になってきている。それは状況の変化のせいなのか人心の
変化のせいなのか…これも人法二空と言えるか。