突如として満開!

観音堂の門前の桜の巨木は土曜の段階では半分くらいも咲いてなかったのに火曜になってみたら視界一杯の満開となっているではないかぃな。たった2日で驚きの変化!自然界は神秘的にして感動的だぁ!今日も見事な咲き具合。こりゃ週末まで無事と見た。明日の土曜は予定どおりブランデー背負って花見スポットに出掛けよう。それにしても植物界の劇的な変容は凄い。その凄さが日本的な美意識や宗教観に決定的な意味を作り上げたかと感じたりする。それどころか日本人は古くから技術や知識の習得過程までも自然界のアナロギヤでモニターして見える化してたとん違うか。なんたって試験に受かったときの電文はサクラサクなのだ。しかし学校での勉強なんかでは植物の劇的な変容という面よりも着実な成長をモデルにしているようだ。どうも学校では着実でコンスタントな進歩みたいなものが求められるし毎日の勉強の成果も毎日の着実な努力が現れてくるようにイメージされていく。素直に勉強できる人なら着実な積み重ねも有効だから問題ないかも知れないが実際にカレンダーにあわせて何かが理解されてゆくなんて経験ができる人は少ないかも知れない。むしろ何かが解る
ととい
うときは見えない扉が突如として開くように目の前に新たな世界が現れる感じになるんぢゃなかろか。まぁ個人的には着実な理解より爆発的な理解の方
が感動的だし癖になる。音楽や語学なんかでは特に爆発的な進歩や理解を体験するのが普通な感じがする。極端に言うと外国語の学習の快楽とは習得そのものより爆発的理解によって得られるのかもしれない!そういえば勉強ができるヤツは大きくなるにつれて楽しそうに見えなくなっていった。花がなんか一つもない巨大な枯れ木みたいな景色か。もしや学校という場所ではサクラよ咲け咲けと言いながら現実には巨大な枯れ木を育てているのでは。一方で日本の伝統芸や職人ワザの習得は花のアナロギヤに近い。そこには長い絶望的な期間があり節目ごとに努力が花開く瞬間が設定されているようだ。これが修行の苦しみと喜びなのかも知れないが学校の勉強より楽しい過程とは言えそうにない。もちろん元々仕事というのは必ずしも楽しいことばかりぢゃないから仕方ない。 おそらく伝統的修行が楽しくないのは樹木が花を咲かせるまでの過程が長すぎるため修行者には遠い未来の希望が見えにくいためなのかも知れない。なにしろ超人的な技術の習得なんだからゴールが遠くて見えないのも当たり前か。そこで当方のような要領も悪く根性も足りないくせに欲張りという始末
に悪い人間は学校の勉強にも伝
統的修行にも耐えられない。仕方ないから物凄く長い時間と膨大な情報を投入して常に手近なところで見栄えの良さそなインチキくさい花を咲かせて暮らすことくらいしかできない。でも意外に人様の役にも立つし自分の気分も悪くない。