悪質タックルは選手が勝手に…

このごろ世間で話題の悪質タックル事件。加害者とされる宮川選手の会見は痛々しいばかり。まさに涙を誘うものだった。記者たちの質問にも普段の意地悪で陰険で不遜な態度もなく限りない同情と労りの気持ちが籠っていた。宮川選手が切々と語る経緯は現代の日本で起きているリアルな出来事というより時代劇のストーリーぢゃないのかと疑いたくなるほど大時代で理不尽で無残だ。時代劇の残酷さの本質は暴力や殺戮ではなく良心の破壊にあると感じる。もう時代劇人間としては悪事に手を染め罪を背負い込んで未来への見通しも失った宮川選手が可哀想でならない。時代劇では弱気で真面目な職人や仕官先を求める浪人や不遇な立場に泣く泣く下級武士なんかの弱みを握ったり恩を売ったり甘い話を持ちかけたりして悪事に引き入れる。事が露見しても背後で甘い汁を吸う越後屋や水野修理なんかは万全な策を弄しているから全く安泰でカモにされた人間だけが全ての罪を背負わされ闇から闇へ葬られる。ただ嫌疑が越後屋や水野修理なんかに及びそうになってくると本当の黒幕が関係者全員を抹殺しようと動く。「うっ、上様!私には全く覚えがのないこと」「それは家臣が勝手に…」。時代劇の世界で言えば今回の悲劇の中で最も悪いのは下手人ではなく黒幕で憎々しいのは黒幕の見苦しい保身の動きだ。(株)日大の経営陣や有力者にして見れば今回の不祥事によって来期の受験者が激減するのを恐れるあまり隠蔽そのものの火消しに走っているのだろうけど逆に露骨で姑息なトカゲのシッポ切りが大学のブランド・イメージを徹底的に破壊することに気ついていないのが間抜けだ。今や少子化の時代。結果が怖い。こうゆう上役や主人の下で犠牲になっていく無数の家来たちも悲劇的だろう。教育者や経営者や場合によっては政治家までも含めて人徳は人生経験や教育では育てられないことが解るのが悔しい。さりとて法律で問題を解決しようとしても法律は現実に被年々厳しくなっていっても越後屋や悪代官も社会から退場しそうに見えない。それどころか法律は被害者の選手にも加害者の選手にも救いになっているようには見えない。んなら私たちだけは可能な限り守り法律を守り法律では救われなかった人に少しでも癒しと慰めを与えられるよう心掛けるしかない。