涼しい

昨夜は轟音がするほどの雨が降った。大量に降っては休む雨のリズム感とスピード感が意識を自然に幽玄の世界に導いてゆく。んで昨夜は涼しかったが今朝は異様に疲れている。ただ昨日の朝も今朝もハエに襲われてない。雨は一般的には憂鬱な感情や不安な気持ちなんかと結び付くことが多い。ただ当方は自分でも変だと思うけど激しく降り続ける雨の音を聞いているうちに必ず緑一色の石炭紀の森の景色を思い浮かべてしまう。いや宮殿の外にはホントに巨大シダやカッコいい緑の両生類たちの世界が広がっているみたいな気になる。この反応は極端に個性的すぎるが宗教の世界での雨は一般イメージとは少し違う世界を示していて実際に雨は宗教的な喩えや表現に利用されている。キリスト教では雨は善人の上にも悪人の上にも平等に降り注ぐことから神様の平等な愛と恵みを表している。法華経の薬草喩品ではジャングルに降るスコールが様々な境地や価値観の人々に等しく降り注ぐ仏の慈悲と導きに喩えられている。逆旧約聖書や仏教の法滅尽経なんかでは全人類の滅亡との関連で語られる。この滅亡の雨も皮肉な意味で一種の平等を象徴しているのか。さらに宗教の世界では雨そ
のものが沢音や海鳴り
などと共に修行に利用されたりするし場合によっては悟りの境地そのものの表現として受け取られたりもする。中国の意拳なんかでも四方の雨音を聞いて全方位的な注意力を養う修行がある。雨は時に意識の範囲を狭めるが同じ雨が広い領域を実感させてくれたりもする。今も遠くで雨が止むのを待っている人々がいる。家に戻れる日を待っている人々がいる。みんな無事に以前の日常を取り戻してほしい。何か出来ることがあるだろうか。