開運の手応え

なんで今年の激暑な夏の中でアタマとカラダが働くのか。これだけでも自分にとっては奇跡。開運成就だ。一昨年の暮れに天台密教系の寺で開運成就を祈願し正月から本格的に密教立ての勤行を始めてからホントに開運モードが少しずつ動きだした。確かに開運は可能だという手応えを感じると色々な発見も出来た。特に人々を悪質宗教に走らせる奇跡のメカニズムの解析は開運モードの追求に決定的なヒントを引き出せた。当初は宗教的な感動体験に注目していたが体験の深層に運動感覚イメージの働きみたいなのが潜んでいることに気づき最終的にドライブ感の体験的検証へと導かれていく。まさかカラタで感じるスピード感のイメージが開運の鍵だったなんて結論に至るとは数ヶ月前の自分にも想像できなかった。カラダや心に設定された最適なスピード感を発見し持続できるようになると理由は何だか説明できないが急激に全てが好都合な方向に回り出すのを実感できる。自分でも驚いているが最近は読みたい本は激安で手に入るわ恐ろしく絶妙なタイミングで情報や連絡が入るわ。逆にモードを外すと急に全てが裏目に出るよになるし。もう偶然と言えないほど頻繁に出来すぎた偶
然が発生する。一般に開運に関連する録やマニュアル本を調べてみるとイメージや言葉による暗示が重要なキーワードになっているこ
とが判る。どうやら多くの意見が一致して指摘するのは開運には独自の明るく楽観的な心のモードが必要ということで暗示とは心を開運モードに持って行く手段だと理解できそうに見える。しかし!実際に試してみると心のモードは変化するし失敗も激減するものの本に書かれているよな運命の激変なんざぁ全く起こらない。ここで一般に下される結論はマーフィーに代表される潜在意識本はインチキだということになるが結論的なことを言えば暗示では一時的な気分だけは引き出せるが暗示だけでは持続的なワクワク感を自分のには出来ないと言えそうだ。新しい意識や思想や人生観の獲得でワクワク感やスピード感を持続的させようという発想もあるが思想が思想でお盛るという悲しい結末は多くの人々が目にしているので論証も必要ないだろう。