一念三千の意味を観想する

さて突然ですが一念三千の話。大切なのは難しい言葉を並べ立てて他人を圧倒することぢゃない。一念三千は難しいけど何より自分の手で触らないと意味がない。あらゆる心を自分の心のように理解し全ての相手の中に眠る仏様を目覚めさせる者になるまで自分の心に呼び掛け続けたい。というわけで手始め一念三千の三千から。仏教が考える宇宙には地獄から仏様の世界まで界という領域がが十個も設定される。地獄が極限の迷いと苦しみの世界なら仏様の世界は究極の悟りと平和の世界。その間に中間的な8つの界が設定される。これが十界。しかし十の界が仮に別々に独立しているだけなら地獄に堕ちた人間には永遠に希望はないし仏様も苦しむ人間を眺めながら涙を流すことしかできないはず。そこで天台大師は人間も鬼たちも救われて仏様になれる根拠を死ぬ気で探し十界互具の原理を見いだした。十界互具とは十の世界が互いに重なりあっているという感覚だ。この世の地獄とか地獄に仏というのも十界互具だ。しかし単に世界が互いに重なっているだけぢゃなく誰もが仏様の世界の性質をもち全ての世界に仏様の世界への入り口が開かれてないなら誰も仏様にはなれない。だか
ら人間は醜いアヒルの子がホントは白鳥だったみたいに初めから仏様の性質を秘めていないと話にならない。 こうして十界具によって一念三千の100項目までが出来上がる。次は十如是。この多重化した世界には必ず独自の景色や性質や歴史や未来などがある。これらについて法華経の第二章には相、性、体、力、作、因、縁、果、報、本末究脅 と十の項目を挙げている。これで1000項目。これを3倍にすれば3000が完成。ここは敢えてザックリ行くと。それぞれの世界には特徴的な国土があり住民がいて仕組みがある。つまり一念三千のツボは世界の多様性と多重性。ここで三千が明かされたから話は一念と三千の関係に入る。一瞬の心の変化の中で人間は様々な境地に入るだけでなく同時に3000の状態とアクセスしているというのが極限まで単純化した天台学の一念三千。どうでしょう。人は誰でも自分の背負った因縁によって人間界に生まれてきたが生まれた瞬間から10の界とアクセスしながら暮らすことになる。どんな世界と縁を深めるかは心掛け次第。それで自分の行く末が決まってしまう。だから今の自分が置かれている状況を深く観察し出来る
限り仏様と縁を深める努力をしましょう。天台学なら戒律ん守り座禅を組んで経典に親しむ形になります。