日蓮の世界のド真ん中

NHKのファミリー・ヒストリーで取り上げる人が九州がらみの人ばかりなのには何か裏があるのだろうか。さて話はガラリと変わって日蓮様!日蓮本人の著作や後世の日蓮ファンたちの行動をみて日蓮様が大好きになっていくにつけ日蓮と関連する悪質宗教諸派のせいで日蓮様に対する世間のイメージは日に日に悪くなる。しかし煩悩即菩提ですから当方は悪質宗教が縁になって日蓮遺文を猛烈に読みたくなって逆に得した!日蓮教学には順逆不二の法門というのもあることだし日蓮的な行動には人に好かれる一面と人に嫌われる一面が共存している。んだか共に仏様との縁になると言われる。でもさぁ一部の面々は自分たちの熱心さを確認したさに嫌われる部分だけを必死に追求している。ホントの熱心さはアピール度や活動実績ぢゃ判らないんだよね。ところで日蓮教学をシンプルに理解するツボを結果が出る仏教というキーワードで無理矢理に納得しといたが日蓮が選択した最も重要な結果とは何かというギモンが出てくる。この問題は日蓮系の諸派間での際限もない論争と抗争の原因にもなっているんだから正しい解答など外野にいるエビごときゃ出せる道理もない。でも敢えて言
えば日蓮が一生を懸けて探求したものは境地であって現象ぢゃなかったことだけは間違いない。ただ事の一念三千や心土不二の原理が
過大評価され何でもカンでも現象だけで悟りを語るという変〜な風潮を呼び宗団内部で現象偏重と境地軽視の傾向を何度も強まった歴史も否定できない。しかも仏法の世法に対する優位性が常軌を逸した暴挙を正当化する根拠にされ境地よりも神学論争や他門誹謗の追求が優先されがちになったところも痛ましい。いくら仏法が世法に勝っているからとて境地の深まりが人徳ではなく強弁の技術や鈍感な熱意ばかりに現象するという法もない。教えを示すなら論争より徳で相手を感服させるべきぢゃなかろか。少なくとも日蓮は情熱の人である以上に度量と徳の人だった。それは大量の手紙の文面や阿仏房との出会いのエピソードなんかから確実に推察できることだ。まさに日蓮が求めた結果は日蓮の人格に現れている。順風満帆なときにも逆風なときにも変わらない穏やかで熱い心!そこが日蓮教学のツボなんでは。