驚異の世界

ああ昨日は暑すぎず枷も心地よい土曜日だった。この週末は聖地周辺でも夏の終わりを惜しむように色んなイベントが行われだろうが何とか無事に開催されそうだ。ここで話は急にテレビのことに。どこの家庭でも小さな子供は親が見ているテレビを横で見るしかない。子供には家のメシとテレビ番組はギモンの余地もない当たり前の現実だ。それが少しずつ世間に近づくにつれ当たり前でもないことに気づいていく。うちは学識とは全く無縁な家庭だったが見るテレビというと野生の王国だったり知られざる世界だったり科学ドキュメントだったり。要するにテレビは教養番組が主流だった。その間にプロレスやらアメリカ連ドラやら大正テレビ寄席やら。そう言えばクイズ番組も多かったっけ。それにプロ野球も見ていたようだったが興味がなかったせいか記憶がない。当方の家族にも親戚にも周囲にも大卒の人はいなかったのに今になって振り返ってみると昔から当方が知り合って仲良くなるのは決まって教養ある家庭の子女だの名門校のヤツだの物凄くマニアックな珍芸の伝承者だの愛知県人だの。これは明らかに小さなときに見たテレビが大きく影響している。そのことの反面検証
になりそな状況証拠と言えるか近所の同じ教育程度の家庭ぢゃ当方らが当たり前に見ていたテレビ番組なんざぁ見てないらしくは近所ぢゃ家族でも仲間うちでも海外事情だぁ変わった食いもんだぁ変な生き物の話だぁなんて少しも話題にゃ出てこないという現実は最近になって初めて判明したことだ。だから当方は近所ぢゃ座り処が解らなくて時々往生こく。ところが教養ある仲間は相応の環境の中で暮らしているから学識のない人間の暮らす世界の麗しさや恐ろしさや不気味さは現実の出来事として想像すら出来ないようで当方は同様に座り処に困る。学識のない人々は大抵が善人なんだが一部にはホントに他人の利害にも行動の手順にも地域の状況にも無関心で衝動のままに生きている無表情でグダグダな連中もいるのが現実だ。こうゆうヤカラは間違いなく数を増していて普通のサラリーマン家庭の中にも現れだしている。スーパーで駅で路上でと様々な公共空間で見られる連中の傍若無人な日常は粉飾なしに驚異の世界だ。そんな名前のドキュメント番組もあったけど今になって自分で驚異の世界を目の当たりにするとは。