開運できなかったのが何よりの証拠

宗教やオカルトは祈りが効かない条件を色々と用意している。絶対に感応があるはずの祈りが通じなかったときにゃ祈り方が微妙に違うとか祈りの回数が足りないとか不純な気持ちが入り込んでいたとか色々と便利な言い訳で言い造ろう。それで祈りがホントに有効なのか最後まで解らないまま信用させるという仕組みになっている。祈りなんて最初から無力なんだと考えたら話が早いんだが希望という名の妖精は時に人を始末の悪い無限ループの入り口まで導いてしまう。そこで人は好都合な夢を捨てたくないばかりに祈らなかったら何が起きるかを倒錯的に確かめたくなったりもする。当方も同じ気持ちで敢えて祈りからドライブ感を排除してみた。すると見事に宝くじが外れたので逆にドライブ感の有効性が証明できたと無理矢理かつ自己欺瞞的に納得した。こうゆう未練がましい了見に内職詐欺が付け入ってくるのだろうと情けない気持ちにもなる。とにかくドライブ感の威力を逆説的に証明できて上機嫌な当方は迷わず開運瞑想を再開した。すると早くも効果が顕れた。普段は雨ぢゃなきゃ傘など持って出ないのに思いつきで傘をもって出たら帰りがけには好都合な雨。また翌日は
人の家に入ったら途端に土砂降りで帰る間際にゃ待ってたみ
たいに雨が上がった。これで開運の秘密が確かに掴めたなんて簡単に確信してしまう当方なのだった。オカルトに社会主義に経済学。やはり人は懲りない。効果があれば信じるし効果がなくても信じるものなんだ。