究極の目的は徳を残して去ってゆくこと

太上感応篇は台湾や香港では比較的ポピュラーな宗教書の一つでカテゴリーとしては功過格という一連の文書の仲間だ。このテの本には善行による開運の方法が具体的に書かれているが興味深いのは功過格には人の寿命や財運や家運の増減と関連した善行や悪行が一つ一つの項目として具体的に示されているばかりか各項目に相応の点数が配当されているところだ。もちろん悪行はマイナス点。んな項目の中には太陽を指差すなかれみたいに迷信的なのも入っているが基本的に弱者を助けるとか物を大切に扱うとか他人や社会の利益を増大する行為が並ぶ。感応篇も含め功過格の基本思想は個人の幸福は周辺の他人と共通の利益を土台にしてこそ成り立つというものだ。こうした運気と行為の連動というメカニズムを感応篇では人間の行動に対する神の賞罰だと説明しているが神に人間の所業を報告する者が三尸という虫だとも記されている。まぁ三尸なんて虫が実在するかは疑わしいが少なくとも現実の社会でも自己の利害にしか関心を持たない人は事実として卑しい生活を送っている。好き勝手に生きることを幸福の条件だと誤認したばかりに高い学識を身に付けたり悪どくカネを貯め込
んだりしながら家族単位で時間をかけて崩壊してゆくヤカラの姿は充分に惨めだ。もちろん周辺の利害に責任をもっている人が必ず幸せに暮らせるとか言い切れないにせよ一般論としては長いスパンで平穏かつ心豊かに暮らせているようだ。感応篇では善行によって蓄積された徳は代々継承されると指摘している。んなら人間の究極の使命は個人というレベルを軽く超えて徳を蓄積し継承していくことになるんぢゃないか。ここまで来るとカネや地位や才能だけでなく人間そのものまでも徳という遺伝子を載せる媒体に過ぎないとも捉えられそうだ。さて一生を通じて育てた徳を残して去ってゆくのが人間の本懐なら今後は安心して未来の誰かに手渡す徳を集める装置として生きて行こう。