孔雀王は陣痛自在!

孔雀明王真言を上げている期間に起きた出来事が凄かった。もちろん自分に起きた好都合な出来事の一つ一つに大喜びしたり自分の幸運を自慢したりする意図はないけど極度に劇的な経験は感謝の気持ちを込めて記録に残したくなる。1:尋常ぢゃなく厄介な家族がいる面倒な家を所用で訪ねたとき珍しく朝から出かける厄介な家族とニアミス状態になった。ところが都合よく宅配便が来てくれたんで用のある相手が厄介な家族の存在を察知してくれた。お陰て早めに敵を遣り過ごしニアミスは避けられた。2:愛用の秘密道具が見つからなくなって半日くらいを探索に費やした。仕方ないから瞑想に入り直感的に椅子の下に手を入れたら発見できた。3:会計学の入門書でも買おうかと思いつきでブックオフに出かけたら着いた途端に探しても探しても出会えなかった本が激安で目の前に現れた。4:今まで何度も禁煙に挑戦していた母上が急にタバコを吸わなくても平気になっていた。んな感じだ。都合次第で考えれば先日の引っ越しの手伝いの日も期間内だった。まさに現地到着とともに空が晴れだし作業終了とともに小雨が降りだした。こんな感じだ。ああ人間は妙なシンクロにシテ
ィの連続を体験しているうちに神秘的な原理なんかを本気で信じるようになるのか。宗教的必然は感応だから科学のいう再現可能な因果現象とは意味が本質から違う。しかし当方の場合に限れば陣痛体験で経験的される好都合な出来事は必ず不都合な出来事を埋め合わせる形で起きるようだから単なる偶然とは明らかな区別できるし基本的に奇跡や不思議といった感応の現れは多様な振舞い見せるタイプのをブラックボックスが介在した因果現象に似ているから人間の心を超自然へと引き寄せる。それにしても正と負が差し引きゼロなら何もないのと同じで話そのものが無意味な感じだが人間は出来事と出来事を組み合わせて捉えながら生きてしまう。だから差し引きゼロな世界を不運続きに感じるのも思い通りに感じるのも山あり谷ありと感じるのも同じなのかも。や確かに目当ての本を一発で見つけたときも差し引きゼロで直後には意識が急に薄れて出口を間違えた挙げ句にスタッフルームに入っていくという不始末。それでも気持ち次第で世界は幸福にも不幸にも変わる。たぶん宗教的人生経験とは明暗が抱き合わせ世界で安らぎを見いだしていく過程なのかも知れない。これは同時に
多くの悪質宗教が思い通りにならない理由として強力な妨害者を想定したがる原因にもなっていそうだ。むしろ人生を思い通りにしてやるぅなんて確約してくるようなヤツは神でも仏でもなく甘い言葉で人間の目を眩ませ堕落に導く悪魔に相違ないと感じる。それでも当方は仏様を拝む。錯覚なら錯覚で差し引きゼロの世界の中では拝めば感応は体験される。