自己愛人間に足りないのはユーモアか

やっと縁が切れたかと胸を撫で下ろしても次々に現れる自己愛人間の脅威が頭から離れない。確かに自己愛人間そのものに苦しんでいるだけでなく最近の数日間に互いにに面識も縁もない面々から相談したよなタイミングで集中的に電話がくるようになったサイコ・ホラー的な状況に震え上がっている。これはシンクロにシティなのか被害妄想なのか。もしや当方は本物の神経症か何かになっているのだろうか。もはやトースポも笑点も強烈ウォッカも一時的な慰めにしかなってくれない。そんなんぢゃ少しも修行が出来てないってことぢゃん。んで座禅と型連勝。これなら少し時間も稼げそうだと思って飛び込んだら意外にも楽に心が立ち直る。どうも心理学者が指摘するように確かに自己愛人間は世代を問わず増えている景色だ。なぜ増えているかは謎だが間違いなく言えそうなのは社会や地域や家庭といったリミッターの弱まりを契機にして症状が顕在化もしくは重症化することだ。また面々の話を総合してみたとき浮かび上がってきた一つの共通点は育った家庭に全くユーモアがないという点だ。ここらへんに決定的な何かがあるよな予感がする。実際に面々は表面的には面白かった
りするが臨機応変のユーモアというよりは一方通行的かつ個人プレイ的な仕込みネタばかりで受けを狙っているよに見える。面々が仕込みネタや才能のアピールをなとで際限もない自己承認欲求を満足させようと頑張る姿勢の背景には愛とか信頼の欠如も見え隠れする。だからって愛や信頼を注いでも欲求の扉を開くだけだ。もう面々の前で自分なりの幸せを見せてあげるしかなさそうだ。追い込まれてるせいか今日の発言にゃ一片のユーモアもない!