オカルトで開運

「今ちょうど出かけるところなんで後で改めて電話してくださいよ。夕方からなら好きなだけ話せます」「いえ、今とても話をしたい気分なんですよ。出掛ける時間くらい少し送れても問題ないでしょ!」 少なくとも現実のオカルトでは開いてないドアを無理矢理に開ける奇跡のような方法は考えない。逆にドアが開く時にドアの前に立つための現実的な方法を探求する営みだと言える。確かにオカルトは非科学的かも知れないが非科学的なオカルトを笑う人々の中には他人の家の開いていないドアを無理矢理に開けようとして結果的に壊してしまうような人がいるので不思議だ。特に自分の一方的な要求だけを次々に他人に突きつけておいて常に状況が思い通りにならないのを激しく嘆く人の論理はオカルトより遥かに非科学的に見える。いく何でもオカルトは閉じられているドアが開くドアなのかか開かないドアなのかくらいは観察しようというもんだ。常に自分の要求どおり動く人間や状況などという非現実的な期待を前提に行動し最終的に周囲とのトラブルを繰り返しているよな人々よりは精霊や自然エネルギーが状況を変えてくれるまで自分に出来ることを探す人々の方が少しだ
け賢明に振る舞えるんぢゃなかろか。教養ある現代人がオカルトの主張を真面目に信じるのは難しそうだが自分本意の欲望の暴走を防ぐための象徴的寓話としてならオカルトの世界観を利用するのも愚かなことではないかも。そして実際に他人に無茶な頼みを繰り返すよりも妖精や天使の活躍を信じて心静かに状況の変化を待っている方が運を逃さないようだ。妖精や天使が実在するかの問題は置いといても結局は待てない人や譲れない人ほどチャンスは逃すってもんだろう。これは真実だと思いたい。