弱者の味方は不幸を引き寄せるのか

謎の人物が暗い夜道を横断するよに縄を貼ったせいで二輪で通りかかった人が大怪我なんだとか。どこの出来事かと思ったら相模原とは。悲しいけど変に納得してしまった。この地域に昔から住んでいる善良な人々や平穏な暮らしを期待して越してきた良識ある人々は当地の治安や風紀の悪化に改めて絶望的な気持ちになったに違いない。さて話は変わって嘘か真が弱者の味方を売りにする人権派報道写真家の広河隆一氏が複数の女性スタッフに恒常的な性的暴力!このような弱者や被害者の味方というのは被害者の目線で現実を伝えるとこで終わるんぢゃなくて大抵は加害者として設定された権力の告発がホントのメインの目的になる。思えば権力を告発するなら歴史やら経済やら政治家の失言やらを題材にしても可能だから弱者の立場は告発という目的のための一つの題材になる。だから思い切り悪意の解釈をすれば被害者の味方は被害者を告発の手段にしているとも言える。これは言い過ぎだが有名ジャーナリストの広河氏は自分自身も権力者だったということを忘れていたのは間違いない。でも不機嫌な顔をして権力や権力者を告発してさえいれば自分の権力が免罪されると思うなら
大間違いか。権力者を批判するか否かを問わず人は自分の権力の誘惑と戦う必要があるだろう。その手の面々は常に不機嫌な顔をしている。なんと今回の事件を告発している面々も負けず劣らず不機嫌な顔をしている。そりゃ不機嫌は弱者の痛ましい犠牲の上に成り立っている権力の快楽への激しい怒りの現れなんだろう。でも様々な犠牲者の側に立つ人の
気持ちは不機嫌だけに限られない。例えば哀れみとか労りとか癒しだってあるはずだ。んなら不機嫌は様々な反応の中の一つに過ぎないのだ。それでも敢えて不機嫌な表情をして自分のイメージを免罪し神聖化するツールとして使っている人がいるなら今すぐ用心して自らの心を見つめなおそう。