来年は超開運から自己増殖的開運へ

今日28日は聖地の観音様で今年を締めくくる行事があった。昔は観音様まで並ぶ出店の灯りが一つの幻の街を現出さそていたが今や夕闇の奥の楼門の傍らに出店の一握りの光が見えるだけだ。年末の冬の夕暮れの風情を味わいつつ宮殿に帰還し万感の思いとともに武乱泥酒を1杯2杯。まさに武者も乱れて泥のように落ちる。さて今年は去年より開運の手応えが強まってきた。ただし当たり前の話として開運に血道を挙げてるのは運に恵まれてない証拠だということは忘れてはならない。しかもホントに運なんてものが実在してるかも不明なんだし開運とは宿命的に頼りないものなのだ。さて時期としては今年の11月ころ孔雀明王の御真言を唱えるようになったころから今年のテーマだった超開運が実現しはじめた。当方が考えた超開運は開運した人の周辺でも運が開けるという状態だがタイミングを逃し勝ちな人も一緒に行動している当方のタイミングに引かれて絶妙なタイミングで無駄のない行動がきたりした。こんなこころで超開運は実現可能と都合よく考えで来年は超開運の強化に加え自己増殖的開運という新しい局面に踏み込もうと目論んでいる。自己増殖的開運!それは運が
自動的に周辺の状況を発展させて結果的に当人を取り巻く環境条件が福利関数的に良好になるというモデルだ。これを実現するために考え得る全てのケースで自分の利益きだけでなく相手や状況を少しでも利益する方法につい寝ても覚めても死んでも工夫し思索し実験してみたい。こんなん追求したら体が続きそうもないか。仕方ないから
行動基準として常に心に留めることにしよう。