脳に過剰な言語化を控えさせよう

どうやら経験と観察と見聞から現代人の心と体に悪さを働き日常にトラブルを呼び寄せ人生を不幸な方向へと引き込んでいく最悪の元凶は人間の脳だと判った。より精密に言えば脳それ自体というより脳が何でもカンでも安易に言語化したがる悪い癖だ。人間は悲しいけど無用心でいる限り脳が言語で作ったフィクションの世界から出られない。でもヴィゴツキーが予感していたように人間は言語化処理を経ない対象についても認識できるし情報処理できるようだ。そして現実には言語化の必要もない状況も意外に多い。例えば自在に移動したり巧みに変形・変色したりする立体の様子を人間は追うことが出来るから人間は何が何でも言語化しないと情報が処理できないんでもない。そういえば次々にトラブルを呼び寄せ他人や社会の批判ばかりして周囲に厄介がられる面々は何が何でも言葉で作った勝手な論理状況を処理しようとする。この手の面々に何か言っても即座に反論してくるのも状況証拠的に脳内が言語まみれになってるからぢゃないかと推察できそうだ。戒そもそも多くの人は自分の意識や意図を脳の活動そのものだとイメージしているが少し正しくない。もちろん人間が自覚
している心は脳の働きの反映で間違いないけど脳は別に人間の意図のためだけに動いているんぢゃないし脳独自のニーズがあれば人間の意向を軽く無
視した振舞いを始める存在だ。しかも人間は脳による卑怯な操作に気づきにくい。特にデジタル情報に支配されている現代人は言語化された対象を相手に微妙な違いや細かい変化を無視して行動している。そして自分の的確さを欠く行動が招き寄せた思わぬ展開に愕然とする。当方は出来る限り言語化する必要のない情報は言語化しないがメディテーションやら合気道などの身体技法の訓練などで心身の状態に修正を加えている。来年は今年以上に脳の言語化の過程と意識や身体運動の関係を詳しく観察してゆく。