断捨離ブームを断捨離

今年も大掃除は終わらなかったようだ。でも幸いにも暮れに小薮千豊氏の物凄い汚い東京部屋の話を聞いて少し気楽になれた。ましてや断捨離どころぢゃない。今や流行り断捨離ブームの火付け役となった著者も以前の空前のベストセラーだった「買ってはいけない」の著者同様に本人の家庭はガタガタの悲惨な破滅状態だったらしい。もちろん食の安全や没後の心配を真面目に考えるのは必要だけど一つの価値観や行動基準以外を拒絶し排除するよな不幸な提案なんて御免こうむりたい。そもそも大抵の変なブームの正体は物凄く不幸話が好きな誰かが世に溢れる不幸な人たちの不安感や脅迫観念を刺激することで燃え上がる一時的な現象だ。それは単なる不幸の無限限ループ地獄に過ぎない。断捨離も見た目上は仏教か何がに根差しているかのように装っているが持ち物を手放す行為そのものを目的化しているところを見ると本質的には仏教とは似ても似つかない別の思想のようだ。なぜなら捨てることは仏教の目的でもないし必須の修行項目でもない。それは俗世間との関係を捨てる出家生活の基本要件にはなるんだが仏教が本当に捨てなさいと言っているのは持ち物よりも固定された
信念だ。極端にいえば捨てたいのは自分自身だ。
仮に断捨離で古い信念や価値観から解放され心がラクになれたなら一時的には固定観念からの解放にはなりそうだが断捨離という新しい固定観念に再び立ち止まったなら断捨離も即座に一つの悪質な煩悩になる。仏教の見方ではては休むことなく変化しているし誰もが別々の課題の前にいるんだから固定された真理や万人共通のテーマなんかに安住できない。心に居座る断捨離を軽く断捨離できたら断捨離もホントの仏教になれるかもね。