儒教の変質と日韓関係

まぁああビビットは新年早々スポーツと生活情報だけ。しかも何かのニュースもチカラづくで生活情報に持っていくのは職人技か。それにしても駅伝で優勝したのは青山ぢゃないのに何が何でもな感じで原監督を特集する姿勢には揺るがない何かを感じる。しかし劣化は劣化だ。ときに話題も変わって日韓関係。韓国軍のレーザー照射で韓国の威張りん坊な性格が露になった。○国や△国が日本に対して時に強硬で挑発的な態度を取ってトラブルを大きくするのは戦時中のにはの戦時中の日本の暴挙に対する恨みや警戒心を発露するためなのは明白だが根底には全く次元を別にする動機が見え隠れしていると直感できる。それは権力者が外に向かって威張ることで自らの権威を確認しようとする儒学由来の社会的悪弊。もちろん孟子の示した原則に従えば儒学でも権力者が威張るのは覇道であり恥だと理解されている。いつの頃から何を契機にして始まったかは解らないが確かに中国や韓国では権力者が威張ることを許容し場合によっては正当化するようになり覇道も恥ではなくなったようだ。この傾向は荻生学派を例外とすれば古学か朱子学陽明学かを問わず日本の儒学では特に発生も強化もされなかったとみられる。するってぇと本場での儒教の劣化は明代あたりから始まったのかも知れない。 無念なのは当方の力量では詳しい事情を確かめられないことだ。とにかく中韓両国が起こすトラブルの根底に威張ること=偉さという形の威張ること自体が目的化された奇怪な国家論理が隠れていると読み取ってみても大間違いにはならないだろう。思えば韓国の政府も保守派インテリ層も自分たちを本能に近いレベルで自動的に動かす威張りたいという強烈な衝動のせいで引くに引けず出るに出れない痛し痒しの状態に陥っているようだ。つまり自らジレンマ落としのを食らっているんぢゃなかろか。当方もデカこと言って後からビビった経験があるから同情しきりだ。