今日は修道士

 大体において連休は修道士みたいに誰とも会わないですこします。今回は恩師と飲んだりしましたが、それを除けば通常どおりの修道生活になっています。祈りとザンゲの日々です。この期間だけはできるだけマジメにしています。人間は普通に生きているときは平気で通りぬけられることでも、今日くらいは正しく生きようなどと意識したとたんそれが苦しくて仕方なくなるようです。神よ哀れんでください。
 昨夜、大学院に入院中に仲良くしていた仲間からのメールがありました、彼は今年から大阪で大学講師をやっていますが、博士を取るのに苦労しているそうです。しかしコテコテの関東人である彼にはそれと同じくらい大阪が辛いと言っていました。大学の先生になれたので目出度い目出度いと思っていましたが、小生も含めて軍資金不足で泣きながら、大学院を退院していった人間はみんな大変なのだと思いました。気楽な小生でさえ時には、飯食って本読んで、なにやらソレらしきものを試し書きしているだけの毎日が苦役のように感じられることがあります。そういえば、敬愛するひとりの若きゲージツ家も、何と今年の五月ごろに、全く同じことを歎いていましたっけ。その人は今では東京を中心としたエリアを走りまわって精力的に活動しています。アカンときでも行動することが大事だと、その人は無言で教えてくれています。そう、アカンときこそ行動が大事になるに違いないのでしょー。何しろ「修道士」ですから敬愛するゲージツ家のようにバリバリ攻められない性格なのですが、それでも何もしないことは何の結果も産み出さない!マヌケでも何でもやったことだけが結果を出すんじゃないかと痛感する朝です。
 こんな小生でも少し離れた場所に違うタイプの仲間たちがいてくれるのは嬉しいことです。
 今日は朝も早よから、「京大東洋史・下巻」の『西アジア史・インド史」を読んでいます。この本は昔々、昭和28年に出た本ですから無理もありませんが、やはりネストリウス派を弾圧したり追放したりしたのはカトリック教会ということにされています。小生も高校時代には苦手だった世界史の授業のせいで、カトリックってのは悪いヤツだというイメージをもってしまいましたが、あのエフェソス公会議当時はカトリックどころか、正教会だって確立されていなかったのですから、カトリックにはいい迷惑でしょー。かつてキリスト教の悪という悪は、免罪符の発売だけでなく魔女狩りもネストリウス追放も、ピーマンが苦いのまでみんなカトリックが悪いのよ!という景色にされてい時期があったのだと思い出しました。