フロイト好み

2013年1月3日/昨夜はバフチンの「ドストエフスキー論」で終わりました。ソビエトの理論書は西欧のと違って変なテラいがないし、文章も真っ直ぐなので読みやすいと思いました。バフチンドストエフスキーの小説の特徴は作中人物が作者の絶対的な支配を受けない、独立した存在になっていることだと言っているみたいでした。ドストエフスキーの作品は言わば作者の都合次第に出来ているユートピアではないということになるのでしょうか。さてバフチンの本はいい所で切り上げて明日は初夢でも分析しようかと眠りに就きました。ですが、実際には断片的な夢しか見られませんでした。夢はこんな感じです。風呂屋みたいなタイル張りの巨大な部屋で二羽の水鳥の行動を観察しています。一羽はオスのゴイサギで奥の壁際で動かずにいます。もう一羽の方はメスで、おそらくクイナの一種でした。こちらは手前の出入口近く、小生の手元に胴体を梱包された状態で動けずにいます。奥の壁際の鳥を出入口近くに移動すると二羽の鳥は人間のように抱き合いました。気持ちの悪い景色を見てしまったと感じました。いかにもフロイト好みのスケベな夢ですが、せっ
かくですから分析してみました。といっても精神分析の訓練など受けたこともない身です。ここからの話はフロイト夢分析ということになります。一般に〜〜風というのは大体がニセモノやマガイモノと決まっていて、シャレが通じる世界でしか許されない代物です。悪しからず。まずこの夢に反映されているのは最近の具体的な経験というより隠された願望のようです。なにしろもう長いことエロスの神様にはお世話になっていないものですから…。オスの鳥はもちろん自分自身を、メスの鳥は誰か女性を暗示しているのでしょう。メスの鳥が梱包されているのは、それがエロスの世界を知らないか、もしくは性について保守的な女性を表していると推測できます。鳥の種類が異なるのは、その女性が小生とは全く異質な社会背景をもっているか、倫理に照らしてマズい相手であるかを示しているようです。水鳥というのも意味ありげでしょう。それは水面下の潜在的願望の代表者なのかも知れません。“上総屋ぁ、お主もスケベよのぉ”“そういうお代官様こそ!”まあ新年早々変な夢をみたものです。これ以上進めると怖いことになりそうです。そうは言ってもスケベなままで話が終
わるのも悔しいので、次はユング夢分析で強引にイメージ・アップを試みます。 おそらくオスの鳥は自分自身の停滞した意識活動を表し、メスの鳥の方は自分の意識に欠けている何かを意味しています。それがメスなのは今必要なものが女性的な感性であるか、あるいは女性を通じて得られる何かであるかを暗示していそうです。鳥が梱包されているのは、意識下の精神的エネルギーが何かによって束縛されていることを示しているのかも知れません。これはフロイト風よりユング風に料理した方が気分だけは良さそうです。救いかあります。しかしどっちがホントなのかいな?いずれにせよ小生、女性に救いを求めているという落ちになりました。いくら潜在意識の所業とはいえ情けない話です。とんだ初夢でしたが、とにかく今年こそ良い一年にしたいものです。