御生誕祭

anesti2013-01-30

鳴く前に飲みたいと泣くホトトギス!!
 sakujicho shi  mia tanjobo。
ヤゾ語和訳の問題です。ヒント1、shiは英語のbe動詞に相当。ヒント2、miaは英語のmyと同じ意味の単語です。答えはいずれ…。
kiu(だれ) chukai(祝う) mia tanjobo?
neniu(誰も…しない) chukai mia tanjobo 
 カニやサンゴの誕生日は夏の満月の夜ですが、昨日1月29日は小生の誕生日でした。とは言っても特別に楽しい一日ということはなく。日常的で平凡な朝が来て、そして夜が来て、ゴーゴリの『死せる魂』の続きが小生をまっていて…。とくに何もない消化試合みたいな一日となりました。太陽暦の12月24日が仏教徒にとって普通の一日であるように、小生の周りの誰にとっても昨日は普通の一日だったのでした。
 高校卒業後の小生の誕生日は大体においてこんな感じなのですが、例外的に一人で過ごさなかった誕生日もありました。信じられない話ですが、彼女と呼ぶべき人と誕生日を過ごしたこともあったのでしした。今でも忘れられない思い出です。しかし、こんな小生なんかと付き合ってくれたマリア様のような人には申し訳ないのですが、実はそれ以上に忘れ得ない1月29日があったのです。それは20世紀最後の年、2000年1月29日、アジア内陸部のとある「モ」の字で始まる国のボロい学生寮で、共にその国の特殊な常識に苦しんで暮らす留学生仲間が小生のため集まって祝ってくれた誕生日でした。回頭見(芸名=かいとうけん)氏は、わざわざヤゾ語て、chukai anh tanjobo!と誕生日を祝ってくれました。「御生誕祭」と銘打って挙行された宴会では東欧各国のワインと根性で探したスルメなど、みんなで持ち寄って馬鹿騒ぎしました。参加者は日本人以外に、トゥバ人、モンゴル人その他も入れ替わり立ち替わり遊びにきてくれて、内陸アジアの民族が勢揃いしたような景色になりました。韓国の仲間も誘ったのですが、都合でこ
られなかったのは残念でした。
 宴会は、まず司祭役の回頭見氏による聖パウロの言葉の格調高い朗読に始まりました。その大意は「あなたがたは飲み食いのために教会にきているのか?!あなたがたが勝手に食事を始めるので、ある者は飢え、ある者は酔っている始末だ。私はあなたがたを誉めようか?誉めるわけにはいかない…」というものでした。そしてこの荘厳な儀式に続いて、聖パウロも頭を抱えるような飲めや歌えの宴会へと雪崩式に入り、深夜までダラダラと続きました。時は光の速度で流れ、外国の客人も自分自分の世界に戻り、まったりと話しをしていた日本人仲間も一人帰り二人帰りして、ナゼか最後までいたのはモンゴル人二人だけとなりました。モンゴル人は確かに付き合いの良い連中だとは思いますが、残った二人については単に帰るのが面倒臭くて朝まで居座ったに過ぎません。国外で盛大に開かれた「御生誕祭」は結局モンゴル人のお接待で終わりました。
 誕生日は誰にでも平等にやって来ます。しかし誰と祝うか、どう過ごすかは抜きにしても誕生日が何月なのかの違いは個人の命運をある程度まで決定してしまいます。これは占星術の話ではありません。影響を与えるのは社会制度です。1月29日生まれというのは、2つの局面で損なようです。まず学校です。1月〜3月生まれは学年では遅れたランナーです。同じクラスにいながら下級生みたいな立場になってしまいます。
 次のデメリットは成人式です。1月でも初旬にでも生まれていれば同じクラスの仲間とお酒が飲めるものを、この時にはよく知らない後輩と成人の日を迎えるのです。やはり小生にとっては遅生まれは基本的にデメリットでした。
 確かにこれはメリットにもなります。なにしろ同じ年の4月生まれの人は下のクラスに入るのですから、勉強だけについては早めに始まるワケです。成人式も先輩風を吹かせようと思えばそれも可能です。またクラス内で弟/妹分に収まるという技も自在に使えます。。誰が言っていたかは忘れましたが、80年代のトップアイドルたちには遅生まれが圧倒的に多いとか。遅生まれは可愛がられ上手ということでしょうか…。
 “あいつのタカりのウマさの秘密はそこにあったのか!“と一部の先生方も小生の噂をしたくなるでしょう。近いうちに見参して遠慮なくゴチになります