ファッショ・モンスター

anesti2013-02-07

鳴けぬ日はクチパクで行くホトトギス
我らのベニート・ムッソリーニに少しの!少しだけの栄光を。
 知ってるつもりで知らないもの!今日も何の必然性もなくイタリア・ファシズムのお噂です。
 ファシズムの代表と言えばヒトラー率いるナチスですが、不可思議なことに、ご本家のイタリア・ファシズムは少なくとも日本ではイメージが描きにくい存在です。ナチスのばあいガス室に代表されるユダヤ人撲滅計画、生命の泉構想をはじめとするゲルマン民族純化運動、その他、障害者の一掃を含めた優生学の推進など、想像するだにオゾマシイ所業の数々はファシズムのばあいには思い浮かべられません。また首領ムッソリーニについても、映画「独裁者」に描かれた、あのヒトラーの演説みたいな定番の姿も思い出せません。ヒトラーの声は聞いたことがあってもムッソリーニは…という人が大部分かと思えます。それどころかムッソリーニって誰?とか。
じつは2、3年前まで小生もそんな感じでした。ノンキなものです。たまたまイタリアの作家のことで調べることがあってファシズムについて初めて知るようになったのです。それにしても変です。ヒトラーのような狂気や残虐な計画がみられません。もちろん当時ファシスト政権に反対する人間に強烈な弾圧が加えられたことも、戦争を頻繁に仕掛けたことも事実だったようですが、あの帝国主義の時代にはどこの国でも同じようなもんだったはずで、とくにイタリア・ファシズムだけのお家芸とも思えません。あのマルクスだって国家はある支配的な階級が別の階級を弾圧するための機関だと捉えていたとのこと。レーニンソビエトもその例外ではないに違いありません。つまりファシスト政権の悪というのは当時の近代国家には共通の悪でした。
しかも現在でもファシスト政権下のイタリアの輝かしい日々を懐かしむ普通の人々が少なくないこと、ファシストの継承者たちの作る政党は今でもある程度の「市民権」をもっていること、ドイツのネオ・ナチのような犯罪的集団というイメージがないこと、などやはり悪の影が薄いのです。というより影そのものが薄いのです。
ファシスト政権下のイタリアのイメージを象徴的に表す話がありました。イタリアの鉄道はファシスト政権樹立前も、崩壊後も時刻表どおり運行しないことが知られているそうですが、ファシスト政権の時代だけは、日本なみの正確さで運行していたとか。これは当時としてはイタリアに起こった一つの奇跡として国外から高い評価を得ていたらしいのです。ところが!イタリアではこれは不評だったようです。なにしろファシスト政権になるまでは乗り遅れそうなお客様がいると発車を待ってくれていた汽車が、ファシスト時代だけは無情にも走り出してしまうようになったのです。鉄道は戦後すぐに元のイタリアン・スタイルに戻ったそうな。ナチスのお陰で名前のなかだけに残されて、なんだか本体はヒトラーの陰でその存在感を失い、イメージすらないのに、なんとなくナチスのように語られる、それがファシズムでした。
ファシズムに愛を!なんて申しません。しかしファシズムが特殊な狂気の思想だと決めつけるのは少し残酷すぎます。それは確かにあの時代にヨーロッパで提案された様々な社会主義的国家構想の一つでした。ナチスゲルマン民族至上主義と、それに基づく生存圏理論を中核とする一つの世界構想だったのに対して、ファシズムは「輝かしいローマの再建」という理想と「全てを国家へ」という制度体系からなる政治システムです。それは人類とか世界ではなくイタリアという国家のありかたの構想のように見えます。つまり単純化するとナチズムはよりイデオロギー的、ファシズムはより制度的です。
 ファシズムの罪はそれ自体の構造的過ちというより、近代国家としての罪や当時の具体的政策の残した罪が大部分です。ある意味でイタリア・ファシズムは一種のいけにえです。
嫌うなら嫌うで相手を知りましょう。ムッソリーニにも少しだけ目を向けませんか?
最後に一つ。イタリアでは戦後ずいぶん後になってムッソリーニの娘が議員になったりしています。一方ドイツではヒトラーという名字の人が公的場所に現れたという話を聞きません、ヒトラーはどこに?あの名字が物凄く珍しい名字なら納得ですが…。