なんといいますか…

anesti2013-02-08

小声でも鳴いておりますホトトギス!!
 このごろ突如として体が自由に動かなくなりまして、ついでに声が出ないので歌でも歌って気分を高めることも叶いません。思考回路もショートしたらしく、だんだん何も考えられなくなっています。嫌なことを考えないですみますか、面白いことが思い浮かんで来ないのはダメージです。こんな時に限って昔ながらの町のインテリや、絵に描いたような全共闘世代のエグいジジイみたいな人種にあってしまうのです。なんでまああの人たちというのは少しの疑問もなく、自分の考えに陶酔できてしまうのでしょう。自分の偏ったしかもガッチリ固まった持論を民衆全体の本音だなんて本気で信じて生きているのが凄いです。いえいえ実は持論なんかもった時点で対話する気がないのです。持論なんかもつのがカッコヨイ、クールに見えた時代を少しだけ知っている小生、ご多聞に漏れず高校時代にはつい空気に騙されそうになりました。今では持論さんたちには変な違和感を感じます。妙に正確な知識をもっていて、細かい事実まで記憶していて、それでいて話が退屈で、一人で良い気持ちになっていて…なんかあの人たちには…。
 さてさて見慣れたものには違和感が伴いません。何か違和感があったとしてもそれが何だか判らないということが普通だと思います。時々その違和感そのものについて考えることがあります。そんな時は通常では思い付かないことが次々に考え付きます。ついでに違和感の正体が見極められたりすると恐ろしくスッキリ良い気持ちになります。しかしエグいジジイについては考える気にはなりません。これからは鉄道の話になります。神奈川県西部某所にある鉄道の鉄橋がこんな感じになっています。橋脚の左側に不自然なスペースがあります。細かいことが気になる、それが小生の悪い癖!かつてこれを見た時には強烈な興味を抱いたのですが、つい普段は忘れてしまっていました。この路線が先の大戦の前までは複線だったとか、戦時中にレールが供出で取られて銃弾の材料にされたとかの噂を聞いたことがあるので、もしかしたらそうした事情が関係しているのかも知れません。いつか確かめてみたいものです。
 しかし、もしこのスペースのナゾを解明することができても、「あれはねぇ、戦時中に国が銃弾の材料を確保するために没収したんですよ」なんて決して言い方で人に話すような
マネはしません。そうなったらこの話は瞬時にして知識になってしまいます。事実としては、小生が誰かからそんな話を聞いたということだけです。こんな話し方に慣れてしまうと町のインテリみたいになっていまします。ああ嫌だ嫌だ嫌だ!