見たことない!

こうなればイメージだけでホトトギス!!
 この前、久しぶりにカルビを食ってきました。感動です。
 骨の話です。
高校の頃でした。小生、国語と化学2以外は酷い成績でした。今でもナゼあの2科目だけマトモについていけたのか自分でも理解できていません。当時の古文の授業で読んだマロたちがゾロゾロ出てくる話が心に残っています。それはマロの時代にもギャグやネタで笑いを取っていたことが新鮮だったからです。その話のなかではマロたちが扇子の骨の見せっこをしている場面が描かれていました。マロたちの一人が「まだ見ぬ骨」、つまり誰も見たことがない骨を知っているというのです。みんなはその見たこともない見事な扇子の骨とは一体どういう名品なのかと期待しますが、その話のオチは「その骨とはクラゲの骨」ということでした。
見たことがないモノにはついつい過剰な期待をもってしまうものです。この世には確かに知らない幸せという感じのものがあって、そんな期待を抱いているときの快感は強烈です。インターネットなんかなかった昭和のド真ん中には、この種の快楽が随所にあったようです。
 少し前までのラジオしかなかった時代には事実上架空の世界に等しかった未知の領域が、東京オリンピックあたりから雑誌や映画やテレビを通してある程度まで具体的なイメージを描けるようになってきたと考えられます。もちろんその時代にみんながもっていたイメージも当てにならないモノだったかも知れません。例えばアフリカと言えばジャングルという感覚です。アフリカを舞台としていると想像できる手塚治虫ジャングル大帝、あのジャングル風景はアフリカというより東南アジアです。それはむしろ戦前以来ずっと日本人にとって定番だった南洋のイメージそのものです。なんてったって見たことがない世界です。好き勝手には描けませんが正確に描けなくても仕方がありません。手塚治虫氏自身のアフリカについての知識がどうだったのか、マンガに描かれたイメージがどの程度まで正確だったかは置くとしても、テレビでサバンナの風景を見ていた小生らも当たり前にアフリカ=ジャングルと思っていました。
 そもそも日本にはライオンの暮らす環境が誤ってイメージされる要素があった感じです。なにしろ日本では「獅子は我が子を千尋(せんじん)の谷に突き落とす」なんていう言い伝えがあるので、平坦な草腹でノソノソやってるライオンをイメージできなくても当然かと思えます。この千尋の谷伝説のルーツは未確認ですが、あるいは古代ギリシャあたりではライオンは岩場に住んでいたかも知れませんから、この言い伝えがギリシャ起源だったら理解できます。
 突如として話は飛びます。
 昭和ド真ん中の子供たちが当時「漫画映画」と呼ばれた今のアニメを通じて知った未知の世界の一つに、お金持ちの生活がありました。そこにはミンクのコートやワニ革のバッグやドーム状の銀の蓋がかぶされた料理!などが描かれていたのです。とくに鮮烈な記憶となっていたのは「骨付き肉」です。アニメではデカい肉の左右両側から骨の先が突き出ているあの景色です。あれは一度でいいから見てみたい。できれば食って見たいと思い続けていました。
 それが小生、知らない間にその憧れの骨付き肉を食っていたようなのです。
 それはバブル前夜のある秋の夕暮れでした。偶然知り合いになった私立大学に通うお金持ちのお坊っちゃまとメシを食いにいったのです。もちろんメシは向こうのオゴリです。その時初めて食ったスペアリブとかいう細長い焼き肉みたいな食い物、端っこに細〜い骨?そのときにはあの骨付き肉に少し近づいたような勝利感に震えました。しかし惜しい!もう一声!という心境でした。実はそのスペアリブとかいう食い物が昔は骨付き肉と呼ばれていたことを知ったのはバブル崩壊直前の横浜でした。
それにしても本物のの骨付き肉はアニメとは大違いじゃないか!ナゼなんだ!
いやいや、それは仕方がない話です。骨付き肉は基本的に、我らの手の届かない未知の領域のモノなんです。漫画を描いている当人だって骨付き肉が如何なるシロモノか皆目見当が付かなかったというオチになりそうです。
昭和の憧れ骨付き肉のお噂でした。