食客制度

 記憶がアモルファス化しています。しかすこれも普段は出来ない特異な経験として大切に、そしてガッチリと掴んでおきたいと感じます。記憶がアモルファスになっている状態では一種の情報タグが不明瞭になります。例えば、普段は明確に区別できている2つの認識対象が混合されて、AとBとの特性のうち、どちらAの特性が不明になります。「どっちだったっけ」というヤツに近い景色です。それから何か印象の強い言葉が心に残っているのに、それを誰が言ったか特定できなくなってきます。不思議です。
 この前誰かとの何気ない会話に出てきた話題なんですが、「平凡な人が楽しく暮らせるのが幸せな社会なんですよね」という言葉、胸に響きました。しかし誰と話したんでしょう。
蛯原:「最近ミュージシャンとか、お笑い芸人とか、ンストラクターとか、そうした類いの仕事をやってる人が増えてますねぇ」
X氏:「そうなんだよね」
蛯原:「職業の貴賤は措きますが、大学出て「刺青師」なんかになる女子もいるんですよね。異色です」
X氏:「こういう状況って不景気の証拠なんだよね。人が余っちゃってるんだよね」
「確かに普通の仕事自体がない!平凡な仕事じゃやっていけないからですよねぇ。世間の一部じゃ夢とか才能とかいって喧伝してますけど、まるで平凡が悪とか罪みたいになってますよね。これも高度資本主義の幻想?」
「やっぱり平凡な人が楽しく暮らせるというのが幸せな社会ですよ」
「例えばマルクスなんかが理想としたのは、普通の労働人民が自由な時間にそれぞれの才能を披露するみたいな社会でしたよねぇ」


 会話を再現している内に誰との会話か解りました。ついでに細かい情景も復活してきました。何やら膨大な本のなかで、中国酒を飲みながらの、気持ちの良い対話でした。思い出したヒントは「刺青師」、というキーワードでした。
 会話に出てきた「不景気」、「人余り」、確かに解ります。文筆芸人なんかを目指している小生も、自分が社会からアブれた存在だということは誰よりも意識しています。もちろん芸が好きで、いやむしろ芸の神様に魅入られらてしまってこんなアホなことを続けているのですが、本当に芸を仕事にしたいのか、自分自身疑わしいです。考えてみれば仕事じゃなくて宴会芸でコンスタントに芸ができたら、その方が幸せな気がします。
 だいたい歴史的に見れば、いつの時代でも芸人を職業にする主要な理由は貧困でした。芸人は必ずしも芸を職業にすることが目的とは言い切れません。今の時代も芸を仕事にしたいという動機は、本当は毎日でも芸を披露したいということに相違ありません。むしろ芸人気質の人間というのはイソップ寓話のキリギリスみたいな存在かも知れません。暖かい季節には宴会芸でもイケイケ・バンバンやらかしていられても、寒い冬にはスポンサーに泣きついてでも芸が続けたい!というのが芸人の心でしょう。、
 アリのような社会性昆虫の世界では、実は余剰の労働力、つまり社会からアブれたアリたちは、特に邪魔にはされずノンキに暮らしているのだそうです(anestiの日記、ホトトギスの項を参照のこと)。少し前の動物行動学や生態学で話題の「働かないアリ」のことです。アリがキリギリスをどう扱うかは不明ですが、少なくとも働かないアリたちはイザというときの予備戦力として、つまり未来の社会にとって意味あるものとしてキープされているのです。ということは、働きアリは単に女王アリのためだけでなく、なんとプーみたいにしている同輩たちのための栄養源をもセッセと集めていることになります。
 こうした「人材政策」はアリなど特別な生物の特殊な行動かとイメージされますが、むしろこれが意外と人間的な所業のようです。中世から近世にかけての日本にも「食客制度」というのがあって、他人の家に相当に長い期間に亘って何するでなく逗留する人も多かったというのです。楽しい話し相手や未完成の才能との交流には多少の支出も惜しくないという風情でしょうか…。
 また聞いた話ですが、300年間バブル状態か続いていたという秋田県では、家に来た人に食べ物を腹一杯ご馳走するのがある種の娯楽で、どこの家に行っても誰かがゴチになっているのが普通の情景だったとか。それこそ今は不景気で、話のような世界はなくなったそうですか、それでも昔の気風は今なお残っていて、客があっても沢庵やクッキーで誤魔化すような家庭は少ないとのことでした。ああ昔の秋田県にタイムスリップしてみたい!
 とにかくプーを一人や二人置いたくらいでは文句も言わないし自慢話もしないという度量ある暮らしも、ミクロ経済の一つのスタンダードとして存在していたのは間違いありません。芸や芸能というのは社会全体の経済状態を問わず、どこかバブリーな経済意識の上になりたつものだと考えられます。そう思うと、こうして芸が人前で披露できるのは非常に有難い、幸せなことなんてす。
 最後に一つ、イソップ寓話のキリギリスの話ですが、原典に近いテクストによると、冬になってアリの家に泣きついて来たキリギリスに対してアリたちは!なんと「それじゃ、ウチにいて楽しい音楽でも聴かせてくれよ!」と答えたそうです。これじゃ教訓にも悲劇にもなりません。そういうことなら小生も、いつか出逢うアリたちのために、今日もまた芸を磨きます!