…ウケることもあるがね。

anesti2013-04-13

 ひたすらロシア言語学とギターの一週間でしたが、先週の金曜日とその次の火曜日には地元のスナックに飲みに行ってみました。小生、基本的に名古屋以東では独りでお店に出掛けてお酒を飲むようなことはありません。ですからこれは滅多にないことなんです。金曜日は普通のお客と昔のテレビ番組の話を普通にしました。普通にしたのですが、なぜか店内爆笑という景色になりました。小生も笑いに笑いましたとも。お客の一人の話では、その夫人は自分と4歳下なだけなのに、[おはよう子供ショーの]「ろばくん」を見た記憶がないということでした。確かにある特定の時期には話題の壁が現れます。ドリフで言えば志村以前と以後の壁、あるいは全員集合世代と大爆笑世代の間に立ち塞がる壁、なんかがそうです。この壁の話題が広がる広がる。おはよう子供ショーのガマ親分の話から、快傑ズバット!を知っているか…そして話題はあの「クレクレタコラ」へ!話してみて判ったのは「クレクレタコラ」がオジサン世代の最良の試金石だということでした。初めてお話しした皆さんでしたが、小生を「オタク」として評価して下さり、おまけに「芸人さんか何かなの?」なんてマジに勘違いして頂きました。身に余る光栄、ひたすら感謝です。しかしその日にウケたのは、やはりその座を共にした全員が楽しい面々だったからだと推察できます。常に楽しい空気を共同で作りたいという意思をもっている人たち、こうゆう人たちと飲むのは楽しいです。飲みに行っても面倒なお客と隣り合わせて往生こくことの多い小生でしたが、この日の空気が、と言うよりこのお店の居心地が良かったのです。一方、金曜日は少々因果応報的な妙な感じになりました。今度は、その日お店に出ていたお姉ちゃんが筋金入りの歴女で、帰るまでの間異様にマニアックな話をアレコレ聞くことになりました。一般的に言って、知識は食い物に似ています。満腹のとき、二日酔いのときなんか、食い物はキツいもんです。それなのにあの知識というヤツは何でしょう?中国の宴会の酒じゃあるまいに、常に供する側の都合で次から次へとガンガン押し寄せてきます。それが知識というものの行動パターンであり内在的な快楽なんだと感じます。人間は知識を食いすぎると知識という寄生生物の求める快楽に従って操られるようです。そうそれは狂犬病の病原が人間の脳を直接的にコントロールして水から遠ざけ
ようとしたり、あ
るいはアフリカのどこかにいるサナダムシみたいに産卵期に近づくと人間に喉が渇いたような錯覚を起こさせ、水辺に誘導するるように!知識というのは人間から出たくなるて人間を饒舌にさせて別人の耳に入って行こうとするのです。ほら、今の小生だってこの通り!
 運よくその日は腹が減っていたうえ、小生が元々マニアックな知識の類いが大好物というワケで、色んな意味で本当によかった!と思いました。お姉ちゃんには「オタクですねぇ」と申しました。もちろん称賛の言葉としてです。それでも思うのはどんな知識であれ、知識自体には特に何の面白みも魅力もないということです。一部の人は自分の持ちネタが人にウケていると曲解して改めませんが、実際にウケている原因は、そのときのコミュニケーションの流れの良さや意識の共有度なのではないかと想像されます。
 お笑いのネタにも頭を抱えたくなることがあります。笑いも知識と似たところがありそうです。大体において自分が人を笑わせるんだ、仕込んだネタで笑いを取るんだなどと思い込んでいる人間に限って、本人自体は面白みのカケラもないイジケたヤカラだと決まっているものと存じます。そして案外ネタも面白くなかったりします。空海様は「顕密は人にあり!」といっていますが、人にウケるのは知識でもネタでもましてや才能なんかでもなく、その場の意識の人間的な交流だと思います。
 スナックで飲んだほかは特に何もない日々でした。但し特に何もないのは、よいことかも知れません。