幸せな人、不幸な人

anesti2013-05-19

宝くじ鳴いて当てたいホトトギス
海なんか見せてたまるかホトトギス

「おい、お前の過去をバラすぞ。そしたらお前は刑務所行きだぁ!」
「ほんなら、そうしてもろたらええわい!どうせこの世は牢獄みたいなもんやでえ」
「じゃあ海に沈めてやろうじゃねえか!」
「それもええなあ!ちょうど自殺を考えとったとこやし…」
「くそう、痛え目にあわせてやるぅ!」
「そ、それだけは勘弁してえな!」

今日は西方キリスト教の諸教会ではペンテコステというお祭りの日に当たります。昨日は海辺の街に出かけてきました。本当は華厳学中興の祖師・明恵上人の伝記など買いに出たのですが、縁がなかったようで、海岸通りの辺りで具舎論など読んでおりました。海にいたら思い出したことがあります。海で出会った二人の人の話です。二人とも、風の心地よいある日の午後に海でギターを弾いていた時に、あちらから声をかけてきた人で、日暮れまで海岸で話をしたのです。まさか?と驚きと疑いの心をお持ちになった諸兄は、あの「バイアグラの伝説」の時と同じく、どうぞご安心あれかし。小生のばあい、初めからそうゆう映画的な出来事はありません。出会ったのは両方とも50代後半、いわゆるアラカンのオジサンです。
 一人は去年の今頃出会いました。グラフィックデザイナーをやっていた方で、前年に会社からリストラされたとのことでした。この一人はリストラなんかされたというのに不思議に楽しげにしていて、そのタイミングだと退職金もいいし、どうせ定年間近だし…、そう思って退職しちゃったと笑って話してくれました。話によると今や全てがデジタル処理の時代になっていて、昔ながらの手書きのグラフィックデザインにはお呼びがかからないということでした。会社を辞められてから初めて知ったことはありますか?今その人にしか聞けない話にが聞きたくなる小生のビョーキがまたまた出ました。オジサンは「それが、不思議にだったのは、会社にいる間は仲間と連れだって毎日でも飲みにいってたのに、これまで一度も独りで飲みに出たことがないのに初めて気がついてさぁ!」
 あくまでも明るいその人は、会社を辞めてから飲み屋に独りで入ろうとすると一瞬だけ不安みたいなものを感じると言っていました。なるほど!こうゆうことは定年を迎えたサラリーマンや技術者には有り得る話なんだなと思いました。その人はビーチボーイズや初期のビートルズといった昔々の正統ロックンロールが大好きで、今は聴きたときに好きなだけ聴けるんだから嬉しいよね。と実感をこめて話してくれました。その人は勤めていた頃から同じアパートに住んでいるのですが、いつの間にかネコが頼ってきて部屋に住み着くようになってしまったのでした。その人、本来ネコ嫌いだったといいます。「そりゃ災難で!」と同情すると「いやあ飼ってみると可愛いんだよね…これが!」…楽しい人です。若い頃はバイクで誰もいない海岸でを爆走するのが好きで、特に海岸の起伏のためにバイクが宙を飛ぶ感じになることがあって、これがシビれるという話には小生も引き込まれました。オジサンは独身のままここまで来たそうですが、「いやあ、オレも結婚したいとか思った時期もあったけど、仲間を見てるとねえ…幸せじゃないんだよね。オレ、これで良かったかも」
 日が翳ってくるとの人は銀の車で蓋駅先の市街地まで送ってくいってれました。
 もう一人は去年の真夏、海岸に海の家が建つ頃でした。やはりギターを弾いていたら「いいねえ!」と声をかけてきたのはビカビか光るジャンパーに青いつり目のグラサン、髪も少し染めた感じの絵に描いたようなロックンローラーでした。この人は元学校教員でしたが、教育理念の違いから学校全体と対立して自ら退職したそうです。長年連れ添った夫人には即座に離婚されたと語ってくれました。オレは自由になったんだ、もう誰にも縛られないよ!ただ周囲には理解されにくいことには少し往生しているとのことです。これは小生も他人の話には聞こえません!ある日のこと住宅街で留守の仲間の帰宅を待っていたらケーサツに通報されて何も悪いことなどしていないのに職務質問をかけられた経験もあると話していました。あの職務質問、下手なヤツほど態度が悪い!その時点では相手は善良な市民の一人だという基本的前提を忘れているのです。あれはイヤなもんです。しかしオジサンの言うとおり、どこかでヒソヒソ見ていて密告みたいなことをする自称「善良な市民」の方が遥かに怪しく卑怯な連中だと思います。小生、申しました:そんな人を見かけても少なくとも
自分なら「お困りですか?」とか何とか声をかけますねえ!
 変な予感がしたので訊いてみました。その人が気を遣わずに飲める店というのはこの街にありますか?すると答えはズバリ「ないんだよなあ」というものでした。出入り禁止になった店が結構あるのだそうです。なんか色々なことに対し不満を言っていましたが、家には寝たきりの母がまっているとか、今は時間も自由だし安心して面倒みれるから、それだけは良かったと優しい表情を見せてくれました。一緒にメシを食いました。前から行きたかったチャーハンの美味い店の話をすると遠いのに一緒に行ってくれました。メシをいつもより急いで食ったその人は自転車を飛ばして帰っていきました。 幸福な人、不幸な人、小生だって正直に言えば海で再会したいのは幸せな人に決まっています。でもこの二人の人は両方とも人間にとって非常に大切な暖かい何かを追い求めている人だと思いました。真言宗の教えを愚直なまでに信じ込んでいる小生としては、人間は本来自分の周囲の環境も自在に制御できると信じたいのですが、そこまで行かなくても状況が持つ意味くらいは自分の意思である程度までコントロールできるのだと思います。海で出会った二人の人と話して、そんなことを実感しました。本当はこの世に不幸せなど存在しないのかも知れません。