…自転車屋のオジサン

anesti2013-05-29

色々と内情もあるホトトギス/  生家の近くの自転車屋のオジサンは、バブルの頃までお店で元気に仕事をしていました。関東大震災当時の話を聞かせてくれたり、出口王仁三郎の唱導する社会改造運動に参加していた青年時代の思い出などを話してくれていたので、バブル末期には80は過ぎていたと思います。その自転車屋のオジサンの話は少々脚色が強く、世間には軽蔑的な眼差しを向ける人も確かにいました。そういう噂のオジサンでしたが、青年期ど真ん中の小生は時々店に遊びに行っては例の怪しい話を聞くのが楽しみだったのでした。
 後になって思うと、やはりオジサンの怪しい話のなかには真実かどうか実に怪しい部分が多分に含まれていたのは間違いないと感じましたが、それでも何となく許るのです。それは詰まらない話より面白い話をする方が幸せな感じがしたからです。しかもオジサンの話は嘘ではなくて事実を面白可笑しく粉飾しているだけだったんです。オジサンは説教めいたことは言いませんでしたが。妙な理論を語るのが好きで、それらの多くは今も小生の記憶のなかの重要な箇所に大切に保存されています。


「どうしてオレが隠居しないかって、そりゃあオレが自転車屋をやめたら自転車屋のオジサンじゃなくなっちまうからだろうよ」


「お前ね、字が上手くならなくっても、絵なんか描けなくても気にしないが良いね。とにかく名を売っちゃえば汚い字だって下手な絵だって高く売れるんだよ。ちゃんと修行してる人はバカみたいだよ。それとも世の中がバカみたいなのかなあ」


「ずいぶん昔だったけど、うちにいた小僧さんは朝鮮人で、時々親に向こうの言葉で手紙を書いてた。丸とかバツとか不思議な字だったなあ。2つの言葉が自在に読み書きできるんだ朝鮮人は偉いよ」

「長いこと生きているだけで得したことが一つあったよ。そりゃ大富豪だったのが落ちぶれてったり、貧乏だった家が大金持ちになったり、そうゆう歴史を直に見られるんだ。これは学問じゃない。どんなバカでも解るんだよなあ」


「いやあ、色んな人と会ってみたけど、ビックリしたよ。貧乏人が休みもなしに死ぬ気で一年働いたカネより、金持ちが一晩で遊ぶカネの方がデカいんだもんなあ」


「ずっと大昔からあるとおもっている景色だって本当は何十年前にゃあなかったりするもんなんだ」


「お金を使って遊ぶ人はお金を貯めりゃあいいよ。でもお金が要らない遊びだっていくらでもあるよ。」

「この世のお金も土地も全部オレのもんなんだ。オレ独りで抱えていたら世間の人が可哀想だろう。それで好きに使わせ津やってるんだ」


 そんなオジサンも一度だけマシメに怒っていたことがあります。「このごろは台湾あたりで作ってる安い自転車ばっかりが売れるんだよ。でもなあ、ありゃ仕事が甘いんだ。あんなのに乗せたくないんだよ」。近所の人はあの自転車屋は他で買った自転車は直してくれないとか陰で言っていました。が、実は雑な仕事で作られた自転車が許せなかったんです。名誉のために言っておきます。
 そのオジサンも今はこの世界にはいません。誰も知らない普通のオジサンの語録です。
 最後に一言!オジサン、出口王仁三郎の団体は「人の道」じゃなくて「大本」だったんですよ。遠い青年時代のこと、きっと記憶が混線したのですよね。