…てぽどん ぱるさ はげてよったあ!

anesti2013-06-03

兄弟で取り合いになるホトトギス


「北の国、あそこが地上の楽園?ふざけないでくれよ!」
「そんなにヒドイ国だったのかい」
「アタボーよお!あそこは東洋人にゃ生き地獄さ。オレなんざあ毎日ベトナム人に間違えられちゃあ路地裏で袋叩きよ!」
「ええ?、あの国だってアジアだろ?」
「何だか話が食い違うなあ。オレが逃げ出したのは北欧だぜ!」


 先週、飲み屋に出掛けました。他人の言動に一々ケチを着けては自分の点数を上げようとする下品な客を見ました。この客、自分では「突っ込み」を入れているつもりなんでしょうが、突っ込みはそんなにイージーで下等な芸ではございません。まして平和まで脅かす行為ではないんです。こうゆうの大嫌いでございます。
 小生、故なくケチを着けられて泣いてる人の味方なんでやんす。それで時々はキタチョーの味方だって致す次第なんです。
 キタチョー(現地では共和国もしくは朝鮮と呼ぶのが礼儀)の放送では時々極度に物騒な表現が使われます。例えば「ニューヨークは火の海になるだろう!」「アメリカ全土を焦土と化してやる!」「アメリカ帝国主義の手先にも同じ鉄槌が下されることになるだろう!」みたいな…。
 日本でこのテの表現が紹介されると、小生は決まって親愛なる石田純一さんの「不倫は文化発言」を思い出すのです。日本のキタチョー報道には「不倫は文化」発言の扱いと似た点が多分にみられます。まず発言の正しい意図が伝わっていません。石田の純ちゃんは「不倫万歳」みたいなことは言っていません。それに「不倫は文化」という表現も使っていなかった気がします。純ちゃんが言いたかったのは不倫というものは一概に欲にまみれた低級な所業ばかりじゃない!そこから色々な美しい文学作品が生まれるくらい高潔で切ない不倫だってあるんやでぇという程度の話です。純ちゃんには同情します。また二番目の共通点ですが、発言が断片的にしか紹介されない点が悲しいです。石田純ちゃんの発言も部分的にしか紹介されていなかったようです。全体の具体的な内容は失念しましたが、とにかく例の箇所だけでは悪く解釈されてしまうのも当たり前な感じです。キタチョーの放送だって同じです。キタチョーのニュースには正しい聞き方があるんです。まず、あのテの過激表現には定番のスタイルがあるんです。よく聴いて頂くとすぐにアチラの正しい意図もスッキリお判り頂
けることと存じます。、あの過激発言の前には必ず文法でいう仮定節が置かれます。例えば「てーぽどん ぱるさ はげてんだあ!=テポドンを発射することになる」もこんな感じで…。「卑怯な挑発行為をこれ以上続けるならテポドンを発射することになる!」。つまりキタチョーの放送ではいきなり過激行動や強硬手段の実行を自分から積極的に宣言することは基本的にナシなんです。今春の一連の過激発言も毎年4月に半島南側で行われる米軍の挑発行為を意識したものと見られます。日本攻撃宣言に就いても然りで、「アメリカ帝国主義への追随をやめないならば…」付きで聴いて頂ければご安心という景色です。しかも!不謹慎な話なんですが、かの国の言語感覚に親しんでくると、あの表現の後ろに共和国特有のユーモアさえ感じとれるのです。「みーくく ちぇーくくちゅいちゃが…=アメリカ帝国主義者は自らの愚行を後悔することになるだろう!いや、それはない!ナセなら後悔しようにもアメリカそれ自体が滅亡するのだあ!」…と、こんな感じです。つまりキタチョーの報道番組には少しだけ娯楽的なニュアンスも盛り込まれているという理解が求められま
す。現存する具体的な国に対してここまで過激な表現をするのは問題ですが、例えば巨大国家となった中国や帝国主義アメリカだってヒドイもんで、具体的な国を悪者にした映画や連ドラを普通にガンガンやっているんです。その点でいくと我が国は道義ニッポン、そこまで単純バカな番組は作りませんが、特にキタチョーだけが異様な番組作りをしているという理解は明らかな偏見だと感じます。キタチョーの政治体制や外交手段については様々な問題点があるとも言われており、これらは別の場面で具体的に解決すべきでしょうが、曲解や悪意に基づく疑心暗鬼だけは避ける方がよいです。ついでに一つ付け加えます。キタチョーのあのアナウンスは春姫おばさんが20年の歳月をかけて編み出した必殺技で、あのプッツン激怒バージョンの他に「クールな通常バージョン」、「将軍様ありがとうバージョン」、「涙涙の悲痛バージョン」があります。キタチョーはプッツンばかりじゃございませんです。
 しかし小生も仏教徒のハシクレ、厳然たる事実に目をつぶったり、巧い言葉で白を黒と言いくるめたりは致しません。悪く言われるには悪く言われる原因が必ずあるんです。それは小生自身には一番痛い痛い因果の法則です。まあ悪く言われるのは、その人に人望とか人徳とかいう美徳か欠けていたからに相違ありません。例えば、基本的に実力本位のゲーノー界でも人徳がない人はイザというときに周りのフォローも薄くなり、ヒドイ場合は完全に干されてしまうという寸法です。逆に田代まさし氏のように不思議な人望のお陰で何度も浮上できるタイプの人も存在するくらいで、この世界は実力や人気さえあれば無敵とは行かないようです。
 石田の純ちゃんの「不倫は文化発言」も、田原俊彦の「ビッグ発言」も、これまた親愛なる郷ひろみ先生の「テレビでは歌わない」的な発言も、正面から正しく解析すれば特に不遜さや理不尽さや思い上がりなど微塵もない発言ですが、やはり何かが欠けていたのです。ましてや色々と噂のあるキタチョー、何やら悪く言われるのには、それなりの理由がない方が不自然です。はい!
 最後に珍妙でイロニークなエピソードを一つ:不倫は文化発言で一線からの退場を余儀なくされていた石田純ちゃんが退屈のあまり読んだスポーツ紙に誰かゲーノー人の暴露記事が出ていたのだそうな。それを見た純ちゃん、ついつい「ゲーノー界にもヒドイ人間がいるんだな」と怒りを覚えたとか。暴露記事に泣かされている人の苦しい立場を誰よりも知っていたはずの純ちゃんまで、思わず納得させて引き込んでしまう、ゲーノー記者の腕には頭が下がる小生であります。ああ恐ろしい。