…ゴチになります!

anesti2013-06-04

終電の後は自由だホトトギス 
 
 昨日午後は景色も涼しげな木造日本建築の広い軒の下で、心地よい初夏の風を全身で感じながら華厳経十地品の三を読みはじめました。かつて20代のころ門徒の牙城たる東本願寺の軒下の廊下で地元京都のオジサンたちに紛れてノンキな昼寝を楽しんだ日を思い出しました。そうしていると少し離れた用水路の方から激しく流れる水の音が聞こえます。それに今は遠い京都の記憶、今朝ネットを通じて確認した知り合いの動向、そしてそして華厳経に描かれた迷路のような世界の様相!こうした多種多様なイメージの広がりが一つの心のなかで重なり合っていきます。
 華厳経十地品も第一地、第二地と読み進んで、今日は第五地に至ります。第四地の部分には慈悲心のことが書いてあるようなんですが、ナゼかここだけは何度読んでも何が書いてあるのか、サッパリ見当が着きませんでした。一方第五地は不思議に現実的な手応えが感じられます。この箇所では、世界を様々な角度から観察すると、一般人の心理状態が仮想体験できるようになることが示され、続いて第五地に至ると人間が仏教を理解してゆくときの多様な道筋が理解できることや、さらにこの全ての道筋を知り尽くした菩薩は、あらゆる技術や知識、特技やパフォーマンスを利用して一般人の直面する具体的な問題を解決してゆくべきことなどを説いています。
 思えば第一地から第四地までに記された菩薩の修行というのは少々腹が立ちます。例えば全ての人に腹一杯メシを食わせておいで!とか、何万年かけてもいいから、全ての修行法を経験しておいで!とか、まあ壮絶というか凄絶というか、ある意味でシュールで非現実的な禅問答の世界のオンパレードでした。ところが!です。第五地は、多少の無理さえ覚悟すれば「アナタも今日から実行できる!」的な、生身の人間でも手が届く内容になります。そうなると読む方の気持ちにも自然に気合いや魂が入ってきます。
 第五地の面白さは、情報とか知識とか学習とかに関する記述が妙にリアルで懇切丁寧な点だと感じました。例えば:知識や情報には体系や構造があること、情報獲得には段階やプロセスがあること、情報は受け手の資質の違いによって伝達方法を変える必要があること、情報の受け手の置かれている状況を考慮すべきこと…など、読んでみて一々納得でした。しかも、こうした情報伝達のツボは、一つ一つ頭で覚える代わりに世界の多面的な観察によって自然に会得できるというのです。この発想には少しばかり大袈裟に感動してしまいました。なるほど!世界の観察→人間心理の把握→リテラシー能力…という一見「風が吹けば桶屋が儲かる」みたいいに都合の好い連鎖、小生には解る気がするんです。読んでいてこりゃ真実だと思いました。
 何と言うか、普通は誰でも自分が日頃よく経験する出来事については相当マジメに考えますが、他人の経験や心境には意外と無関心だったりします。、でも「あるあるネタ」と一般に呼ばれる定番の状況を山のように仕入れておけば、色んな人の色んな状況が直感的に想像できるんだと思うんです。これなら小生でも今日から気軽に実行できそうです。
 さて小生、明恵上人の跡を慕って華厳の世界に入ってゆきたいのですが、恥ずかしながら度量が足りません。当面は第四地までの凄絶修行は横に置いて、まずは世界を多角的・多面的に観察し、分析することに致します。そんなワケにて、小生、華厳第五地の美味しいとこだけゴチになります
 今度一緒に「あるあるネタ」で遊びましょう。